弁当を届けた評判娘

近所にあった料理屋

ところで作中にはこのような表記があります。

笹藪のかたわらに、茅葺の家が一軒、古びた大和障子にお料理そば切きりうどん小川屋と書いてあるのがふと眼にとまった。家のまわりは畑で、麦の青い上には雲雀がいい声で低くさえずっていた。
弥勒には小川屋という料理屋があって、学校の教員が宴会をしたり飲み食いに行ったりするということをかねて聞いていた。当分はその料理屋で賄いもしてくれるし、夜具も貸してくれるとも聞いた。そこにはお種というきれいな評判な娘もいるという。清三はあたりに人がいなかったのをさいわい、通りがかりの足をとどめて、低い垣から庭をのぞいてみた。庭には松が二三本、桜の葉になったのが一二本、障子の黒いのがことにきわだって眼についた。

今現在はないものの作品の年代となる明治時代にはこの地域に小川屋という料亭があり、弥勒高等小学校の教員もお世話になっていたようです。

 このとき、清三はそこに立っている娘の色白の顔を見た。娘は携えて来た弁当をそこに置いて、急に明るくなった一室をまぶしそうに見渡した。
「お種坊、遊んでいくが好えいや」
小使はこんなことを言った。娘はにこにこと笑ってみせた。評判な美しさというほどでもないが、眉まゆのところに人に好かれるように艶えんなところがあって、豊かな肉づきが頬にも腕にもあらわに見えた。

ふと街道の取つきの家から、小川屋のお種という色白娘が、白い手拭いで髪をおおったまま、傘もささずに、大きな雨滴の落ちる木陰こかげを急いで此方にやって来たが、二三歩前で、清三と顔見合わせて、ちょっと会釈して笑顔を見せて通り過ぎた。

同校へも教職員の仕出し弁当を届けていたようですが、このとき同店にはお種という評判の娘さんがいて主人公とも関わりがあったようです。

そこまで美しくなかったものの、人に好かれるような艶えんさがあったとか。

作中においても並々ならぬ存在感のある人物です。

実在した「お種さん」

同校近くにある円照寺にはそんな彼女にちなんだお種さん資料館があります。

作中の小川屋は実在し、お種さんのモデルもその娘である小川ネンさんです。

同館では彼女や小川屋ゆかりの品々を展示しています。

同校の史料も展示していて、こちらは実際に使われた教科書。100年近く前に学校は無くなってしまったものの、このような史料が残っているのはありがたいです。

こちらは生前使っていたという糸車。熊谷や行田など近隣には紡績で栄えた街が多くありますが、羽生においてもそのような街に生糸を提供していたのでしょうか。

なお、同寺には彼女の墓もあります。

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スポット紹介

◇田舎教師の像・弥勒高等小学校跡

  • 住所:埼玉県羽生市大字弥勒

◇お種さん資料館(円照寺内)

  • 住所:埼玉県羽生市弥勒1536
  • 電話番号:048-565-0319
  • 開館時間:9:00〜17:00

次回でラスト、お楽しみに。

つづく

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