らき☆すたの聖地・鷲宮 その2 関東最古の大社!鷲宮神社

久喜市の旧鷲宮町地域のご紹介第2回目です。

今回はらき☆すたでも大きな注目を集めた、あの一大スポットをご紹介いたします。

武将にも愛された関東最古の神社

作品に出てきたあのアングル!

鷲宮の地に降り立ち、本格的に街を散策していこうと思います。染谷商店の貸自転車を借りようかとも思いましたが、徒歩でそこまで不自由する街じゃないからということで徒歩で散策します。

まず向かったのは駅から歩いて5分ほどのこの場所。

一部当時と変わっている箇所がありますが、この場所に見覚えがある方もひょっとしたら多いことでしょう。

この場所こそが鷲宮神社

映像を出すことはできませんが、らき☆すたのオープニングでもちょうどこのアングルから撮った神社の模様が登場しています。

劇中では登場人物の柊かがみ・つかさ姉妹が住む鷹宮神社として描かれています。

神社の由来・沿革

東国武将からの深い信仰

社伝によれば神代の昔に天穂日命(アメノホヒ)と武夷鳥命(タケトリノミコト)が東国経営のためにこの地に立ち寄った際に鎮守として大己貴命(オオクニヌシノカミ)を祀ったのが同社の始まりとされています。その後、日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定の際にこの地で戦勝祈願を行い、別宮を建てて天穂日命と武夷鳥命を祀ったのが現在の本殿につながるといいます。

そのようなことから同社は関東最古の大社とされていますが、これらの伝承は延喜式や国史には書かれていません。
なお同社が歴史資料に初めて現れるのは、鎌倉時代の歴史書・吾妻鏡にある建長3年(1251年)の記載です。

それでも同社が古くから偉大な神社であったことは確かな事実で、鎌倉時代以降は関東鎮護の神社として東国の武家の崇敬を強く受けています。
北条時頼や新田義貞、古河公方、さらには源頼朝や義経といった名だたる武将が信仰していたといい、彼らが奉納を行った記録も残っています。

あの将軍との意外な関わり

戦国から江戸時代になってもその信仰は変わらず、1591年に徳川家康が社領400石を寄進するとこの土地を江戸幕府の歴代将軍も朱印状を発行して安堵しています。

またこの頃から宮司職を務める大内氏は、江戸時代初期に徳川家光が日光東照宮を参拝した際に利根川に落水した家光を助けています。この功績により江戸城内での1万石の格式を与えられ、登城時は大名が通される部屋に通されたといいます。

その後明治時代に入ると明治新政府により東京十二社の1社に指定されました。後に東京十二社は廃止され、現在は別表神社としてこの地を治めています。

年中行事の紹介

そのような歴史と伝統のある同社では年中行事も盛んに行われています。

  • 歳旦祭(1/1 0:00〜):新年の門出を祝うとともに誓いを新たにする祭典
  • 年越祭(2/14 10:00〜):厄除の豆がまかれ、福豆が授与される
  • 例祭(3/28 11:00〜):祭神に最も由緒のある日で、厳かに祭典が執り行われる
  • 春季祭(4/10 10:00〜):稲の豊作を祈願して、崇敬者の家内安全を祈る祭典
  • 夏越祭(7/31 10:00〜):形代を加須市川口の古利根川に流し無病息災を祈る
  • 秋季祭(10/10 10:00〜):五穀豊穰を感謝し崇敬者の家内安全、身上安全を祈る祭典
  • 大酉祭(12月初酉の日 10:00〜):福をかき取る縁起物が社頭に並び、商売繁晶を願う人々が集う

特に12月の大酉祭は、酉の市の発祥とされる浅草の鷲神社のものよりも古いとされています。

そのようなことから、同社には「お酉様」という異名もあるようです。

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