■「認めてあげれば、子どもは自分が好きになる」
米国の家族カウンセラー、ドロシー・ロー・ノルテ(1924〜2005)が自作詩「子は親の鏡」(1954)で述べた言葉である。同詩を含むドロシーの子育て論は1998年に書籍化され、日本語含む世界18言語に翻訳されている。81歳で家族に認めながら生涯を終えた後も、彼女が残した言葉は世界各地の子育て現場における教訓となっている。
■久々の更新となったが、小生はここ数ヶ月は中小企業診断士として企業の経営相談や補助金申請支援などにあたっている。こんな活動はしてはいるものの、大企業出身のネームバリューがあるわけではなく、同業や事業者にとってはまだまだ信頼を得られていないように感じる。日々食うにも苦労していてこちらの方まで手が回っていない状況だが、信頼されていない身として非常に通ずるものがあったため更新せずにはいられなかった。
現在開会中の埼玉県議会9月定例会で、自民党県議団が提出した議案が論争を巻き起こしている。埼玉県虐待禁止条例の一部を改正する条例として、12歳以下の児童だけによる外出や留守番を禁じるものであった。各方面から批判を受けて9歳以下の児童のみによる留守番を禁じるにとどめたが、本議会と並行しての福祉保健医療委員会において可決されるなど本成立に向けて動き始めている。
■特に一人親世帯の負担面から同案に関しては批判の声が地域内外で多く挙がっている。
確かに子供のみの留守番というのは事故や誘拐などのリスクもあり、子供の安全を考える上ではできる限り避けるべきではある。
ただ、それを真っ向から否定するというのは、親の負担云々の前に当の子供達に対する不信の現れではないだろうか。留守番というのは家の留守中の秩序を守る上においては重要なイベントであり、それを事故なく自分の力で遂行することによる達成感も大きなものだ。それにより子供達も自分自身が使命を果たし認められていると自己効力感を得ることができる。こうして子供は精神的に成長するはずだ。
それなのに子供たちから成長の機会を奪ってしまうことは、いかがなものなのか。
■9歳以下となると小さいから不安だという声もあろう。
ただ、7人に1人の子供が貧困に陥っている現状、自分一人で生きていく力を身につけていくことは一層重要だ。幼少期が終わっても大学へは奨学金を借りて進学するなど、経済低迷に伴って子供への負担も増えている。まして高度経済成長期のような成長が見込めないこれからの時代は、大人になってからもますます自助努力が求められることだろう。
そうした厳しい時代を生きる子供たちに我々が残してあげられるものは何か。それはひとえに子供を信頼し、成長の機会を惜しみなく与えることに他ならない。資産を与えることは限界があるにしても、信頼そのものはタダだし何の負担もない。親の責務も重要だが、それ以上に子供の成長が重要ではないだろうか。
■不信の重荷から解かれるためには、やはり信頼があってこそだ。
幼い子供だから何もできない、だから守ってやるしかないというのは間違っている。子供だって立派な人間であるし、機会がなければ能力も身につかないのだ。
大人も同じだ。機会がなければいつまでも成長するわけもなく、埋れてしまうだけだ。小生の場合は努力が足りないこともあるが、機会を掴んで信頼を得られないものかと日々悶々としているのだ。