【埼事記 2023/5/3】新しい人権など議論をー憲法記念日に憲法考える

■「互いに攻撃し議論するのは、憲法を完全なものにするためである。くり返すが、長官だの秘書官だのという意識は一切かなぐり捨てて、討論・議論を究めて完全なる憲法をつくろうではないか」

初代首相で大日本帝国憲法の制定にも深く関わった、伊藤博文(1841〜1904)の言葉だ。

西洋に倣って制定された同法だが、幕藩体制からの脱却を図る中で近代法学の理解は相当な苦労を伴ったことだろう。その裏には多くの討論・議論が、身分に関係なく行われていたことがあるのは想像するに容易い。

■本日5/3から大型連休が本格的に始まったが、本日はというと国民の祝日である憲法記念日だ。悲惨な第二次世界大戦を残り超え帝国主義を推進した同法の代わりに平和国家の礎となる日本国憲法が1946年11月3日に公布、76年前の1947年の本日より施行されたというわけである。

国民主権・戦争放棄・基本的人権の尊重を三大原則に据え、まもなく100年近く経とうという中で一度も改正されずに現在に至っている。同憲法のもとで、我が国も70年以上の長きにわたり対外的な戦争を行なっていないというのも皆がよく知っていることだろう。

国内で施行されている各法律も同憲法に則ったものとされ、まさに法律の原点ともいえる。

■そのような中で、特に国政選挙が近くたびに憲法改正が話題になることがある。

現在の規定では、国会の衆参各議員で2/3以上の賛成を得ての発議後に国民の過半数の賛成を得ることで、憲法改正ができることとされている。この発議を得るために、各党が議席数の確保に苦心しているというわけだ。与党の自民・公明党はじめ日本維新の会と国民民主党で全議席の2/3を占めており、国会での発議については秒読みという段階にある。

問題となってくるのは、いかに憲法を改正するかだ。特に焦点になっているのは戦争放棄・戦力不保持を謳った憲法9条で、同条に従うと同憲法施行後に創設され国家の自衛権を担保するための自衛隊も違憲という扱いになってしまう。このため同憲法において自衛隊の存在を明記するよう改正案が自民党などから出ているが、戦力不保持という原則に合わないのではないかという批判も出ている。

■各法律はもちろん平和国家の礎となるものだからこそ、同憲法の理念尊重が第一である。

しかし、70年以上も前に制定された法律だからこそ、全てが急速に変わっている現代に即していない点が見受けられるのもまた事実である。

9条はさておき、特に検討が必要だと思うのは新しい人権だ。同憲法で出てきた人権とされているが、例えば情報端末の普及で人々の交流が活発になったことで個人情報などの流出するリスクも高まった。SNSにおいてこうした個人情報が晒されて多大な被害が生じているのはいうまでもなかろう。

自分の人生をいかに決めるかという自己決定権もそうだし、最近特に議論が必要だと思うのはLGBTQに関する権利明記だ。自治体によっては条例によって同性のパートナーシップを認めるところも出てきているが、まだまだそうした人々に対する配慮は自治体によって温度差がある。それならば憲法で一括して明記すればそうした温度差も解消できよう。

憲法におけるこうした新しい人権について、まだまだ議論が足りていないように思えるが、どうだろうか。

■防衛費増強とそれに伴う増税が取りざたされているが、防衛だけが国家の果たすべき役割ではない。民主主義のもとで国民一人一人の幸福を守り不公平を是正する唯一無二の存在が国家だ。

なぜ憲法改正というとすぐ9条改正に走りたがるのか、疑問でならない。これだけ対外情勢も不安定になってるからこそ急を要するのかもしれないが、それよりも先に足元で対応すべき事柄があるのではないだろうか。

こと同憲法については70年以上に亘って改正されていないため、改正に慎重な声が強いことも承知している。それでも、常に社会は変化するし、そうした法の礎というのは変化に即して考え直していくべきところもあるのではないか。「押し付け憲法論」という指摘もあるが、長い時間が経ったからこそ自分たちで考えて新たな要素を加味するというのがあってもいいように思えてならない。

■それでも、三大原則をはじめとした同憲法の理念は最大限に尊重されるべきである。明確に戦争放棄を謳った憲法は世界を見ても例が少なく、平和が保たれているのに同憲法が果たしている役割は無視できない。

国家的な平和のもとで、いかに各国民の平和に対応できるか。100年を間近にした同憲法の大きな課題といえる。

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