鷲宮催馬楽神楽ー関東神楽の源流

同館の一角には、同社で奉納されている鷲宮催馬楽神楽に関する展示があります。

正式名称を土師一流催馬楽神楽という同神楽。催馬楽とは平安時代に流行した歌謡の一種で、地方から朝廷に年貢を運ぶ時に馬子が歌ったことから、この名前がついたとされています。

12座から構成される同神楽は演劇よりも舞踏としての性格が強いのが特徴で、多くの演目で面をつけ採物と呼ばれる小道具を持って踊ります。一曲一座形式で一人舞の演目は少なく、2人以上で舞う連舞が多いのも特徴です。

全国には4000の神楽が伝承されていますが、特に同神楽は関東神楽の源流とされています。

栄華を極めた江戸の神楽

同神楽の始行年代ははっきりとわかっていませんが、鎌倉時代の歴史書「吾妻鑑」には1251年4月に同社で神楽が行われたことが書かれています。それでもこれが同楽と同一は定かではありません。

戦国時代では同社神主は武将も兼ねていたため、相次ぐ戦乱により神楽は徐々に衰退していきました。

それでも、江戸時代になって情勢が落ち着くと、同社神主は武将をやめて神主に専念するようになりました。

特に江戸中期の宮司・大内國久は1726年までに36座あった神楽を12座に再編しました。これが現在も行われている催馬楽神楽の原型です。この頃には神楽を世襲で行う「神楽役」がおり、大内氏の家臣として田畑も与えられていたといいます。

消滅の危機から地域の伝承へ

明治時代以降も世襲により行われてきた同神楽。

しかし昭和時代に入ると神楽師が減少し始め、終戦後には白石国蔵氏ただ一人となってしまいました。またしても神楽が消滅する危機を迎えてしまったのです。

しかし1955年7月31日に神楽の笛の音がNHKラジオで流れたのを機に、町内の若者十数人が集まって「鷲宮神社神楽復興会」が組織されました。

そして同氏の指導により神楽は伝承され、消滅の危機をどうにか乗り越えることができました。同会は「鷲宮催馬楽神楽保存会」として現在でも伝承活動を行っています。他にも1980年には鷲宮中学校に伝統芸能クラブが設立され、地域のこどもたちも担い手として大いに活躍しています。

なお同神楽は、1976年に第1回目の国の重要無形民俗文化財に指定されています。

鷲宮催馬楽神楽を見るには?

以上が大まかな同神楽の特徴や歴史でしたが、同神楽は年7回奉納されています。

  • 歳旦祭(1/1 0:00〜)
  • 年越祭(2/14 10:00〜)
  • 春季祭(4/10 10:00〜)
  • 八甫鷲宮社での奉納(4/15)
  • 夏越祭(7/31 10:00〜)
  • 秋季祭(10/10 10:00〜)
  • 大酉祭(12月初酉の日 10:00〜)

春の1回のみ八甫地区にある鷲宮社で行われますが、それ以外は鷲宮神社内の舞台で披露されます。

次回は10/10の秋季祭で披露される予定ですので、五穀豊穣に感謝を示しつつ見に行かれるのもいいかもしれません。

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スポット紹介

久喜市立郷土資料館

  • 住所:埼玉県久喜市鷲宮5-33-1
  • 電話番号:0480-57-1200
  • 開館時間:10:00〜18:00
  • 休館日:月曜日(休日は開館)、年末年始(12/28〜1/4)、休日の翌日、館内整理日(毎月最後の金曜日)、燻蒸などの臨時休館日

つづく

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