あの歴史上の人物が関係!?金泉寺
日照りを救った金の泉
最後にご紹介するのが、臨済宗建長寺派の金泉寺です。
鎌倉時代末期に多くの禅寺を設けた夢窓国師によって、1345年に開山された同寺。
金泉という名前はこんな伝説に由来します。その昔日照りが続いていた際にこの地にあった泉から龍が姿を現し、雲を呼んで雨を降らせました。
泉は今は枯れてしまったようですが、それにあやかり寺の名前として残されています。
本尊を修理したのが…
こちらが本堂。本尊は阿弥陀如来像で、鎌倉時代に造られたもので同市内では一番古いそうです。
以来幾度にわたって修復が続けられてきましたが、江戸時代には忠臣蔵で有名な浅野内匠頭が修復に携わっています!
武運向上や国家安泰を願い修復したという記録が同寺には伝わっているようです。
ちなみに忠臣蔵といえば江戸城内で同氏が吉良上野介に切りつけたことが発端ですが、彼らの間にどのようなトラブルがあったのかはよくわかっていません。
このほか墓地には、江戸時代に寺子屋や塾を開業した師匠の墓を弟子や塾生が供養のため建立した筆塚も残されています。
スポット紹介
- 住所:埼玉県和光市新倉3-10-10
- 電話番号:048-464-1241
これ以外にもまるで京都かと思わせるほどお寺や神社が密集している新倉地区。歴史好きには意外と穴場なスポットです。
次回はランチ回の予定ですよ〜!
つづく
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