【愛と哀しみの埼玉の歴史】さいたま市20年 戦前より夢見た「大埼玉市」

浦和・大宮・与野という3市が合併して誕生したさいたま市が、本日5/1で20周年を迎えた。

2003年に内陸県初の政令指定都市移行、2005年には岩槻市を合併し、現在は人口が130万人を突破するなど関東はもとより日本を代表する都市の一つにまで発展している。

新世紀の幕開けとなる年に平成の大合併と称される3市合併で大きな注目を集めた。しかしその合併構想は実は戦前から存在していた。

宮脇梅吉の合併構想

記録が残っている合併構想のうち、最も古いのは1927年の宮脇梅吉(1883〜1941)による合併構想だ。

官選知事として同年に埼玉県に赴任した宮脇は、地域の生活環境や暮らしぶりに類似性や共通性を見出し、「一大都市圏構想」を打ち立てた。当時の浦和町・大宮町・与野町と県の政治・文化・産業の中心地域をまとめた構想になる。

実際に各町村の当事者と協議を行ったものの、在任後すぐに他県へ赴任となったため話が進むことはなかった。

しかし1931年に宮脇は再び県知事に赴任。「関係町村の永遠の利益は実に大都市建設による都市計画の完成である」という力説のもと同構想を強く提唱したが、結局進展することはなかった。

1930年代の埼玉県庁 (さいたま市アーカイブズセンターより)

なお、宮脇退任後の1933年にも「大埼玉市」構想が再燃したが、やはり関係町村の調整がつかず頓挫した。それでも、1934年に単独市制に移行した浦和市・大宮町・与野町・六辻村・三橋村の1市2町2村の上水道事業を手がける埼玉県南水道組合(現:さいたま市水道局)が発足し、その構想の一部は実現している。

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戦時下での合併構想

当時の大宮駅(さいたま市アーカイブズセンターより)

第二次世界大戦が勃発し戦時体制が強化された1939年、再び「大埼玉市」構想が提唱されるようになった。

浦和市が与野町・六辻町など3町6村に大埼玉市建設計画を呼びかけると共に、大宮町も浦和市や与野町に独自に合併を打診した。

翌1940年には県仲介の下で浦和市・大宮町・与野町の合併交渉が実施され、合併成立と日進村など周辺の1町5村も同時合併した「大埼玉市」誕生ということで総論がまとまった。しかし、具体的な調整段階で異論が出て合併は進展しなかった。

この間大宮町は交渉不調に備え周辺町村との合併による単独市制施行を画策、同年11月に周辺4村と合併し大宮市として市制へと移行した。

戦局が激しくなった1943年、当時の県知事・大津敏男(1893〜1958)は地方自治体の体制強化を図るべく浦和市・大宮市・与野町の合併による「大埼玉市」建設構想を提唱。

関係者により調査研究がなされたが、時局悪化や大津の転出などによりまたも頓挫した。

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戦後の合併構想

戦後の1948〜1950年にかけても2市1町などによる合併が画策されてきた。

そのような中で1953年に町村合併促進法が制定され、県も埼玉県町村合併促進審議会を設置。同審議会で、2市1町と大久保村・土合村を合併する試案も策定された。

1950年代の浦和市役所(さいたま市アーカイブズセンターより)

同試案を受け翌年に関係市町村の行政・議会関係者らが浦和市役所に集まり初の合同会議を開催。合併研究会を設置するなど合併に関する動きが次第に活発化していった。

それでも1市2町が独自の町村合併を模索したことで混乱状態となり、1958年に人口増加や都市化が進展した与野町が市制移行。またも合併構想は潰えた。

70年を超えた「大埼玉市」誕生

1960年代の大宮駅周辺(さいたま市アーカイブズセンターより)

 

幾度となく潰えた「大埼玉市」構想だったが、1962年に浦和市議会において同構想が再燃。

高度経済成長期において東京の衛星都市として発展及びさらなる市民生活の向上を図るため、浦和・大宮・与野3市で50万都市を建設し将来的に100万都市を目指すとした。

時代は下り1973年、合併の必要性について基本的合意を見た3市長は3市行政連絡協議会を設置。これを受けて地元経済界なども独自に広域都市の研究会を設置するようになり、合併への機運が地域全体で高まっていった。

1980年には県と3市に上尾市と伊奈町の4市1町で構成される埼玉中枢都市圏首長会議が発足し、基本構想・計画が策定された。その中で策定されたのが、いわゆる「さいたまYOU And Iプラン」だ。

元号が昭和から平成に変わった1989年には埼玉経済同友会から「埼玉県中枢都市圏の政令指定都市化に関する要望」が提出され、新世紀へ向けて合併への機運が益々高まっていった。

行政側もこの動きに答え、3市議会における合併促進決議(1995年)などを経て1997年に浦和市・大宮市・与野市合併促進協議会が発足。地域における長年の悲願であった「大埼玉市」建設に向けて、具体的な検討が行われるようになった。

詳細な経緯は省略するが、関係各所の協議を経て2001年5月1日に3市が合併してさいたま市が誕生。戦前からの「大埼玉市」構想は70年以上の歳月を経て実現したのだった。

参考文献

さいたま市誕生-浦和市・大宮市・与野市合併の記録

  • 著者名:さいたま市総合政策部政令指定都市準備室
  • 出版社:さいたま市
  • 出版年月:2001年10月
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