こんばんは〜。
お盆で帰省されている方も多いかと思いますが、今回からは2ヶ月ぶりに当サイトの名物企画・大宮以外の埼玉が始まります。
今回ご紹介するのは、文字通り今ホットなこの街!
気温にスポーツにアツい街
異常気象な夏の暑さ
埼玉のみならず、とにかく暑い日本列島。
異常気象とも呼ばれるほど、特にこの夏は厳しいですね。
最近は落ち着きつつある?ようですが、それでも36度を超える体温越えの暑さが予想されます。
以前も書いたように、熱中症にはどうぞお気をつけくださいね。
暑い街に返り咲き
そんな猛烈な暑さが続く日本列島の一角にある埼玉県。
内陸県なだけでただでさえ暑い土地ですが、ついこの前こんなニュースが列島を震撼させました。
関東甲信と東海を中心に23日、記録的な暑さとなった。埼玉県熊谷市では国内の観測史上最高を5年ぶりに更新する41・1度を記録した。計4地点で最高気温が40度を超え、全国の21地点で史上最高気温を更新。気象庁は同日夕に開いた緊急記者会見で、連日の猛暑を「命の危険がある暑さ。一つの災害と認識している」とし、熱中症など健康管理への十分な注意を呼びかけている。
気象庁によると、これまでの最高は2013年8月12日に高知県四万十市で記録した41・0度だった。23日の最高気温は、東京都青梅市で40・8度、岐阜県多治見市で40・7度、甲府市で40・3度となった。都内で40度以上を記録したのは観測史上初めて。
〜以下略〜
(埼玉・熊谷で史上最高41・1度 気象庁「災害と認識」 2018/7/23 朝日新聞 ※以下の画像も同記事から)
そう、去る7/23に熊谷市で観測史上最高となる41.1度を観測したのです!
2007年に40.9度を観測して日本一暑い街として知られた熊谷ですが、その後2013年に41.0度を観測した高知県四万十市にその座を明け渡しました。
しかし、連日の猛暑で気温もぐんぐんと上昇し、ついにはそれまでの最高気温を0.1度上回り、日本一暑い街の座を奪還することとなりました。
うれしいような、苦しいような…。
来年は秋がアツい!
そんな熊谷市なんですが、こんなことが行われることでも有名ですね。
4年に一度の祭典、ラグビーワールドカップ2019です!
釜石や東大阪など日本国内12都市で開催される同イベントですが、県内唯一のラグビー場がある熊谷市も会場の一つにノミネート。
後日ご紹介する熊谷ラグビー場で、以下の試合が予定されています。
- 2019年9月24日(火)19:15 ロシアvsサモア
- 2019年9月29日(日)14:15 ジョージアvsウルグアイ
- 2019年10月9日(水)13:45 アルゼンチンvsアメリカ
チケットにつきましては、来月9/19から抽選販売が行われる予定ですので、興味がある方はぜひ大会のチケット情報をチェックしてみてください!
東京オリンピックに先立ち、県内で国際的なイベントが行われると思うだけで、ワクワクしてきますね〜!
県北の一大都市
人口は県北一!
街の紹介に入る前に、簡単に熊谷市のプロフィールを。
東京都心から50~70km圏に位置する熊谷市は、荒川や利根川の水に恵まれた肥沃なほぼ平坦な土地に大地と豊かな自然環境を有します。東京からは上越新幹線でおよそ40分、在来線だと1時間半といったところでしょうか。
区域は南北約20km、東西約14kmで、面積は159.82㎢でさいたま市の8割ほどの広さですが東京ドームおよそ3400個分です。
2015年の国勢調査によると、人口は198,639人と埼玉県で9番目、県北では最大となっております。
また、産業面でも農産物販売額では県内第5位(地域経済分析システム:平成22年「農林業センサス」)、年間商品販売額では県内第5位(平成24年経済センサス)、製造品出荷額等(平成26年工業統計調査)では県内第3位と、埼玉県内有数の産業都市です。
肥沃な土壌と、広域交通網の要所としての地位をうまく生かしている感じでしょうか。
元は県庁所在地だった!?
熊の退治が地名の由来?
ついでに簡単に歴史も。
市内の遺跡から旧石器時代の石器が発見されていることから、およそ2万2千年前には人が住んでいたとされる熊谷。
豊かな穀倉地帯だった熊谷は、源平時代に熊谷次郎直実や斎藤別当実盛等多くの武蔵武士の根拠地となりました。
地名の由来には諸説ありますが、一説によるとこの熊谷直実の父である熊谷直貞が、平安時代後期にこの場所にいた熊を退治したことが地名の由来になっているようですね。
わずか3年で県庁所在地を卒業
江戸時代には、中山道の宿場として栄えた熊谷。
明治時代に入ると、廃藩置県が行われると現在の埼玉県の大半と群馬県全域を統治する熊谷県が1873年に発足し、熊谷はその県庁所在地になりました。
ですが、わずか3年後に群馬県が離脱し、残った熊谷県は埼玉県と統合してしまったのですけどね。
大宮駅よりも古い熊谷駅
ですが、それでも宿場町として栄えた熊谷の威光は消えていなかった。
1883年に日本初の私鉄として日本鉄道が開通。現在の高崎線の前進ですが、上野起点の同路線は終点を当初熊谷に置いていました。
その後、道路線から分岐して宇都宮方面に伸びる路線を建設するにあたって、熊谷もその分岐点の候補となりましたが、建設コストの関係からそれは叶わず、1885年に大宮駅が設けられることとなりました。
つまり、大宮駅は熊谷駅よりも後にできたってことですね(1885年)
戦災から県北の代表都市へ
そうして発展を遂げてきた熊谷。
もうじき終戦の日ですが実はその前日となる1945年8月14日にアメリカ軍によって市内の3/4を焼失する空襲を受けています。
熊谷空襲と呼ばれるこの空襲では、200人以上もの命が奪われたといいます。
しかし、熊谷は負けなかった。
戦争からの復興に伴い国道や新幹線などの鉄道網が整備されると、県内屈指の都市として成長してきました。
2005年には周辺の大里町・妻沼町、さらに2007年には江南町を合併してその市域も拡大しています。
そうして今日に至るというわけです。
いかにしてラグビーの街に?
そして熊谷を語る上で外せないのが、やはりラグビー。
熊谷がラグビーの街になったのは、高校ラグビーに依るところが大きいです。
熊谷ラグビーの歴史は、今から1948年に当時の熊谷商工高校(熊谷商業高校・熊谷工業高校の前身)でラグビー部が創部となったことに始まります。
カリスマ監督である森喜雄監督の指導のもと、創部3年で県大会を制し、全国大会の常連にまで成長してきました。
併せて1967年の埼玉国体の際には、荒川の河川敷がラグビー会場となり、各世代へとラグビーが普及していきました。
そして1991年には熊谷工業高校が全国制覇し、駅から市役所まで優勝パレードを行なったといいます。時を同じくして熊谷ラグビー場がオープンし、これらを契機に熊谷市当局も「ラグビータウン熊谷」として、ラグビーを核に置いた街づくりを推進してきました。
その一環としてラグビーワールドカップの開催都市に立候補した同市。今回の開催は、そうした歴史的背景や官民一体となったラグビータウン熊谷の集大成として大きな意味を持つことになります。
駅からすでにアツい!?
大宮からは電車で約40分
上越新幹線だと一駅ですが、そこまでするほどでもないのでオーソドックスに高崎線で。
普通電車だと約40分で到着します。
今回はたまたま快速アーバンが来てくれましたが、それでも30分ほどですね。
駅で撮りたくなるスポット
そして快速アーバンで30分、市の中心である熊谷駅に到着。
駅名標も、先日行われた熊谷花火大会を模したものになっているんですね!
階段を上がって改札を出ようとすると、こんなものを発見。
イベントでも引っ張りだこの、ラグビーワールドカップのPRブースです。
特に目を引くのが、このフォトスポット。
カメラを横に向けると、トライを決めている写真を撮ることができますよ!
また、改札を出ると大会までのカウントダウンボードが出ているなど、駅からして盛り上がっている雰囲気ですね。
アツいぜ、熊谷!
クールなスポットも盛りだくさん
こう見ていると、いろんな意味でアツいなと思われるかもしれませんが、いやいやそんなことはない。
気持ちぃ〜。
他にも、駅の外へ出る階段には、涼しげな階段アートも描かれています!
9月までの公開ですので、お早めにどうぞ。
そんなわけで、次回からは熊谷市内のみどころをいろいろ紹介してまいります。
くまーがやくまーがや、わーたしとのーびーるまーちー!
つづく