【埼事記 2021/7/3】コロナ禍で見つめ直す自己 自己満足で終わってはいけない

■「人間というものは、とかく自分の持っていないものに制約されて、自分のあるがままのものをおろそかにし、卑下することによって不自由になっている。自由になれないからといって、自己嫌悪をおこし、積極的になることをやめるような、弱気なこだわりを捨て去らなければ駄目だ」

「太陽の塔」や「明日の神話」などで知られる日本パブリックアートの第一人者・岡本太郎(1911〜1996)の言葉である。

「芸術は爆発だ」などといった強烈な名言で知れるが、なるほど強烈なキャラクターの裏にはかの信念が息づいているのかもしれない。

■先日7/1でビニールのレジ袋の有料化から1年が経過した。

レジ袋は有料という制度に小生も最初は戸惑ったが、身銭を切りながらも購入したレジ袋をやりくりしてなんとか過ごしている。それまでレジ袋は「無料でもらえて当たり前」だったが、いざその当たり前が崩れるとゴミを入れる袋が無いなどなかなかに苦労するものである。

そのような中で、マイバッグというものが一層の脚光を浴びている。直訳すると自分のバッグだが、少しアレンジしたり布を切り出して作ったりと買い物袋一つにしても個々人の個性が出ている。既製品を買って使うにしても、デザインや価格などその購入プロセスには個人なりの価値判断基準が作用しており、何かしらの個性が表れていると解釈できる。

■昨今のコロナ禍で飲食店など多くの産業が苦境に喘いでいるが、家具・インテリア産業は好調だ。

業界最大手のニトリホールディングスの2021年2月期連結決算は、売上高7169億円・純利益921億円と過去最高を記録した。

コロナ禍で在宅時間が増えたことで、収納整理用品やテレワーク用のオフィス家具などの売れ行きが好調だったという。普段は会社にいても在宅勤務の時間が長くなったことにより、自己の空間にこだわりを持つようになったということか。

他にも持ち家需要が高まっているということで住宅産業も好調であり、木材の取り合いにまで発展しているという。

そういえば、一時は品薄だったマスクも手作り・オリジナルマスクということで既製品の範疇に止まらない選択を取る者も多くいた。

■コロナで人と人との接触が制限され在宅時間が増えたことで、逆に自己を見つめ直す時間が増えたということなのだろう。

自己を見つめ直すことであれが足りないとか自分はこうしたいということで、「マイ○○」という消費が増えていたようだ。

とかく没個性的や会社人間などと揶揄されがちな日本人だが、コロナ禍によって個性というものを自己のうちに見出しそれを表現しようとしている、とも捉えられる。人のバッググラウンドはそれぞれ異なるため、それぞれに異なる個性があって然るべきである。それを表出させる行為も尤もだ。

■しかし、問題なのは自己を優先するあまり他人を疎かにする行為だ。

コロナ禍前から感じていることではあるが、SNSの発展などで自己を表現する機会が増えている反面、他者との関わりについては疎かにする例が少なからず見受けられる。

直近で言うと小欄でも取り上げた「自助より公助」で共助を見て見ぬ風潮だったり、ワクチン接種の取合いあったりと、とにかく「自分さえ良ければそれで良い」と考える向きが強くなっていると感じる。

ただでさえ前が見えない状況なのに他人のことなど考える余裕はないしまずは自分の身の安全が第一だ、そのような考えが背景にあるのかもしれない。

■弱肉強食の野生動物の世界ならそれでもよかろう。まず自分の獲物を確保していれば生きながらえることはできるし、それ以上のことは考えなくても良い。

しかし、仮にも我々は知性のある人間だ。

ヒトという生物自体は生身では毒蛇にもライオンにも力では負けるし、食物連鎖の中では中位程度だろう。その代わり知性を駆使し、それを同じ仲間たるヒトに共有してきたことで生きながらえてきた。その共有の結果というのが科学であったり文明であるわけだ。人間様が科学技術の詰まったブルドーザーに乗れば、天敵たるライオンや毒蛇などひとたまりもない。

それでもこの知性というのは厄介なもので、一度人間が知性を抱くようになると味を占めてもっともっと自分のためにと思うようになる。そして周囲を省みなくなる。まずは自分の獲物を確保という野生のヒトに退化しているようにも見える。

■様々定義はあるが、社会というのは人間と人間との関係性の集合体とも言える。

社会はそのような関係性の均衡によって成り立つし、一方的に俺は私はと主張しているではそのような関係性は崩れてしまう。先に述べたとおりビニール袋1枚にしても、それを作る人やそれを配る人がいてこそ成り立っていた。もらう人や配る人や作る人、それらの関係性が均衡してこそできたのだ。

それが崩れてしまったら、野生の世界に戻って毒蛇やライオンと生身で戦う以外に生き延びる方法はない。

ただでさえ無毒な蛇が逃げ出して騒いでいるようでは、そのような野生な世界に戻って生き延びていくことなど到底無理だろう。

■結局のところ、我々人間は社会というシステムの中で助け合っていくことが求められるし、それが脅威に対する唯一無二の対抗手段になる。

「自己の個性の発展をなしとげようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならない」と夏目漱石は言っている。個性の表現を否定するつもりは毛頭ないが、同時に他者への配慮も心がけなくてはいけない。

社会が人間と人間との関係性の集合体であるならば一つの綻びは必ずどこかで自分に返ってくる。「自分だけ気持ちがいい」ということなどあり得ず、その裏で誰かが不都合に逢っている。

大事なのは、自分だけ気持ちがいい、ではなく「みんなで幸せになること」。様々な個性があるからこそ、様々な幸せがもたらされる。

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