お世話になっております
昨日公開し、全2億5千万の大宮サポーターが涙した(?)長編「【愛と哀しみの埼玉の歴史】わずか8か月で浦和県に改称 幻の大宮県とは?」、いよいよ感動(?)の落日編であります。
・・・なんか、漢字2文字で○○編ってやると、某ロボットがたくさん出てくるあのゲームのタイトルっぽいですよね😅
前回までのあらすじ
ここで初めて見られた方のために、前回までに取り上げた、大宮県ができるまでの流れをおさらい!
そこ、字数稼ぎとか言うな!
- 1867年10月 江戸幕府、崩壊
- 1868年4月 政体書制定、府・藩・県を設置へ
- 1868年5月 武蔵知県事登場
- 1869年1月28日 大宮県、誕生
- 1869年3月 大宮に県庁を置く許可、取り消される ←今ココ
まあ、そんな流れです。
詳しいことは、昨日上げた記事を見てちょ
浦和で県庁の誘致運動発生
前回も取り上げたように、大宮県を名乗っているのに大宮に県庁が作れなかった大宮県。
代わりに県庁機能が置かれたのは30kmくらい離れた、東京の馬喰町。
これでは事務をするのに不便極まりありません。
もっとも、警察や裁判などの事務については、東京から官僚を派遣して行っていたようですが・・・。
ちなみにその拠点は現在の東口の高島屋の南にあった旧北沢邸におかれていたようです。
そんな中で、大宮のお隣、当時人口も多くにぎわっていた浦和宿では、旧本陣の星野権兵衛が中心となって、
県庁位置の誘致運動が展開されていました。
この運動、単なる県庁寄こせ~というデモ(?)だけでなく、浦和近隣の村々を対象に、県庁舎建築資金のカンパもおこなれていたということです。
世の中結局はカネかぁ・・・
そのようなカンパの下、浦和宿鹿島台、ちょうど現在の県庁の位置に県庁の建築がはじまりました。
浦和なのに鹿島って・・・
当時は国家情勢も苦しく、当初は東京から古財を取り寄せて作ったそうですが、最終的には建築資金の2/3を周辺の村々のカンパで、残る1/3を国費で賄い、そこそこ立派なものができたようです。
それに対して大宮はどうした!?
こんな運動が浦和で起きていて、当然大宮としては県名のプライドにかけて黙っているわけにはいきません。
なんとかして大宮県のプライドを保たねば・・・!
そのために、大宮宿側では引き留めを図り・・・
なんと氷川神社に対して大宮県の役人への7日間のお祓いを依頼
最後は神頼みすか・・・😅
大宮県、浦和県に改名
こうした大宮県側の懸命(?)な引き留め策にもかかわらず、
1869年9月25日、大宮県は浦和県に改名されましたorz
設立が同年の1月28日なので、わずか8か月足らずで消滅したことになりますorz
そして翌年の3月には当時の間島知事以下の県官が、新たに浦和に建設された県庁に赴任して職務を行うようになり、これが今の埼玉県庁につながっているというわけです。
くぅ~😭
そして現在の埼玉県へ
こうして改名されて誕生した浦和県は、翌々年の1871年11月14日(埼玉県民の日!)に設置された埼玉県に吸収。
同時に埼玉の西側に入間県がおかれました。
なお、入間県の県庁は現在の川越におかれていましたが、この埼玉県については県庁を岩槻に置こうという案もあったようです。
しかし、当時の岩槻に県庁に適した建物がなく、そのまま浦和に県庁がおかれていたとか。
その後も地域各地の統合はめまぐるしく行われ、1873年6月に入間県は群馬県と合併して熊谷県となり、その2年後の1875年8月には千葉県に属する葛飾郡の一部の土地が埼玉県に吸収されました。
だから熊谷以北を群馬と呼ぶのは、あながち間違いではない?
そして、1876年8月21日、熊谷県は廃止され、熊谷県のうち旧入間県に属していた地が埼玉県に編入されて、現在の埼玉県の区画が定まったというわけです。
いやはや複雑な流れだな・・・
大宮が経済の中心になったのは、神様のせめてもの慈悲か?
今でこそ行政の中心・経済の中心としきりに対立の構図が描かれる大宮と浦和。
本来であれば、大宮がそのどちらの役割を担うことになっていたんでしょうね。
まぁ、行政の中心ではなくなった大宮の場合はその後鉄道が開通して東北本線と高崎線の分かれ目となり、戦後の混乱を経て町として発展し、ついには新幹線が停まる一大ターミナルとして交通面でも街としても発展していったんですけどね。
なんだか大宮がそういう風に発展していったのも、県名を取られたことをあわれに思った神様の、せめてもの慈悲という気がしなくもないですね・・・。
引き留めを狙ってお祓いしようとしてくれた旧大宮県の努力は、こういった形で報われたということなのでしょうか🙄
長くはなりましたが、大宮と浦和、いや埼玉にはこのような隠れた歴史があったということですね。
いろいろ調べてみるとまだまだ出てきそうだな!
ちととっつきにくいですが、こんな歴史ネタもたまには取り上げていこうかなと思っております
次回もお楽しみに!
完
参考:大宮市史 第4巻 1982年大宮市発行