新座市で感じる武蔵野 その3 武蔵野が残るお寺・金鳳山平林寺

新座駅から3kmほど南には、臨済宗金鳳山平林寺がある。

禅寺としても名高い同寺境内には、13万坪実に東京ドーム9個分にも及ぶ雑木林が広がっており往年の武蔵野の面影を色濃く残している。

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境内の模様

野火止緑道から境内林を南に回り反対側の総門へ。

こちらで入山料を支払い、同寺へと入山する。

寺の象徴・山門

同門を潜り石畳の境内を歩くと視界に飛び込むのが、隆々としたこの山門。詳しい歴史は後述するが、1663年に岩槻よりこの地に移転した際に建てられたものだ。

古の歴史を伝える佇まいに大きな茅葺き屋根で、同寺の象徴にもなっている。

門の左右には金剛力士像が立つが、これらは近代日本の電力事業の礎を築いた松永安左エ門によって寄進されたもの。同寺を高く評価していた松永は同寺の向かいに睡足居という茶屋を建て、茶道を嗜んだ。

現在、松永は同寺境内の墓所に葬られており、睡足居周辺も睡足軒の森として整備されている(現在は工事中 で立ち入り出来ず)

茅葺き屋根が特徴の仏殿

そうして仏殿へとたどり着く。こちらもやはり巨大な茅葺き屋根が特徴的だ。

本尊として釈迦如来坐像を奉る。

扁額には「無形元寂寥」と悟りの境地である「空」が掘られている。江戸中期の書家・三井親和が筆をとった。

この裏には本堂へと続く中門(いずれも非公開)があるが、総門から中門まで一直線に並んだこれら4の建造物は埼玉県指定有形文化財にもなっている。

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寺の歴史

開祖は岩槻

同寺の創建は南北朝時代の1375年。鎌倉建長寺の住持だった石室善玖(せきしつぜんきゅう)が開山した。

「金鳳山」と名付けられた山号は、かつて石室禅師が修行をおこなった元国・金陵の鳳台山保寧寺に由来する。寺号の平林寺は、寺の伽藍が平坦な林野に見え隠れする様子からきたという。

ただ場所に関しては、当初から新座にあったわけでなく現在のさいたま市岩槻区で建立された。

ちょうど河合小学校の近くにその跡地がある。

知恵伊豆肝いりで新座に移転

境内の放生池 水は野火止用水平林寺堀から引かれている

戦国時代になると、豊臣秀吉の小田原征伐により関東一円が戦火を受けた。岩槻にあった同寺も多くの伽藍を失い、塔頭(たっちゅう)のひとつである聯芳軒(れんぽうけん)のみが戦火に耐えた。

そんな中、関東に領地替えとなった徳川家康が鷹狩りの途中に同寺に立ち寄った。その際に同寺の由緒や経緯を聞いた家康は、その再興を約束し復興資金や土地を寄進した。また臨済禅に帰依していた鉄山宗鈍を住持として招聘し、同寺の中興がなされた。

江戸時代に入っても家康の寵愛を受けた同寺の再建が、その家臣である三河国出身の大河内秀綱により進められた。この秀綱は前回の野火止用水造成で触れた松平伊豆守信綱の祖父にあたる。

信綱は大河内松平家を興し、秀綱ら一族を同寺で葬った。かくして同寺は同家菩提寺となったのだが、信綱自身はその領地である野火止の地への移転を希望していた。

結果として信綱存命時には叶わなかったが、子の輝綱がその遺志を受けた。

こうして1663年、同寺は野火止の地に移転された。

伊豆守の墓所

移転後の同寺境内には大河内松平家廟所があり、同家菩提寺として一族の墓が建てられている。170基余りの墓石が配されているが墓石数・保存状態の良さとも全国有数の廟所という。

その一角に信綱夫妻の墓が建てられている。墓の前には石作りの門があるが、昔の人々の身長に合わせたのか身をかがめないと潜ることはできない。その先に高さ2mの五輪塔が隣り合うように並ぶ。

また境内には信綱が平定にあたった島原の乱供養塔や、睡足居を建てた松永安左エ門の墓などもある。

修行道場の開設

同寺本堂 江戸末期の火災から1880年に再建された(通常非公開)

大政奉還を経て明治時代に突入すると、1903年には平林寺21世峰尾大休により平林僧堂が開かれる。妙心寺派の僧堂は関西には多くあったが、名古屋以東に設けられたものは同僧堂が初めてである。

以来関東を代表する僧堂として、全国各地から集まった僧侶が修行に励んでいる。

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武蔵野の面影残す境内林

そして同寺を語る上で欠かすことのできないのが、伽藍を囲むように広がる東京ドーム9個分の境内林だ。同寺悠久の歴史と武蔵野の面影が色濃く感じられる。一部整備中の箇所もあるが参拝客も林道に沿って歩くことができる。

同林がそのようにできたかはよくわかっていないものの、信綱も藩主を務めた川越藩により雑木林の植林が推奨されていたためこのように広大な雑木林ができたと考えられている。

僧堂開設以来修行の場として保全が行われてきたが、有機肥料が普及していた1960年代頃までは近隣住民による落ち葉掃きや薪拾いも行われてきたという。

そんな同林も1968年にはクリやコナラなど開発の進んだ武蔵野では見られなくなった自然が多く残る場所として、雑木林としては唯一国の天然記念物に指定されている。

以来文化庁や新座市協力のもと、武蔵野の趣を後世へと伝えていくため継続的な管理や整備が行われている。

上皇陛下のお言葉

現在の上皇陛下も皇太子時代の1977年、そして平成天皇時代の2009年に同寺や同林を訪問されている。

各訪問時に残されたお言葉が紹介されている。

いずれもこの地に残る武蔵野の自然への感動やその維持・継承の大切さについて説いたものだ。

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