【愛と哀しみの埼玉の歴史】あの名優も出ていた!埼玉が舞台の実写映画 その2
Movie clapper board and filmstrip selective focus and vintage black and white

「翔んで埼玉」の大ヒットに便乗した埼玉が舞台の実写映画特集。今回は1990年代以降の代表的な作品、そしてこれから公開される作品をご紹介いたします。

1996年 Shall we ダンス?

海外リメイクもされた大ヒット作


所沢市を舞台の一つにして1996年に公開されたのが、周防正行監督作品「Shall we ダンス?」です。

役所広司さんとこの映画出演を機に周防監督と結婚された草刈民代さんが主演のハートフルコメディ。それまで時代遅れとされていた社交ダンスをメインに扱いましたが、映画の大ヒットで社交ダンスブームが起きたと言います。

同作はアメリカなど世界各国でも公開されており、アメリカではアニメを除く当時の日本映画の興行収入記録を打ち立てたほどです。2004年にはリチャード・ギアさん主演のリメイク作も作られたほどの人気ぶりです。

映画内において所沢が主人公の住む街として登場し、主人公の最寄駅として西武池袋線狭山ヶ丘駅でもロケが行われました。

あらすじ

ボタン会社の経理課課長として、優しい妻やちょっぴり生意気だが可愛い一人娘にも恵まれ、念願だった庭付き一軒家も手に入れて、仕事や家庭に何の不満もない杉山正平。しかし、彼には満ち足りない何かがあった。正平は、ある日の会社の帰り、電車の中から見えるダンス教室の窓に、物憂げに佇むひとりの女性岸川舞を見つける。その美しさに目を奪われた彼は、数日後、そのダンス教室を訪れ社交ダンスを習い始めることにした。

家族にも会社にも内緒でダンスを習い始めた正平であったが、指導はベテランのたま子先生から受けることとなり当てが外れたものの、偶然5年前から同じダンス教室を利用していた会社の同僚青木富夫やプライドが高く有閑マダム然とした高橋豊子といった個性的な仲間との交流を通じて次第にダンスにのめり込んでいく。また、ある事件から最初は正平に心を閉ざしていた舞であったが、正平のダンスへのひたむきな姿を見るうちに、だんだんと心を開いてゆく。一方、急に夫の帰宅が遅くなったことを心配した正平の妻は、探偵を雇い正平の浮気調査を始める。

舞らの後押しで正平は豊子とペアを組んで東関東アマチュアスポーツダンス大会に出場し、観衆の前で特訓の成果を披露することになった。しかし、クイックステップを踊っている最中、探偵に提案され会場に来ていた妻と娘の姿を見つけた正平は、動揺のあまり動きが止まり、直後に他のダンサーと衝突、転倒しかけたため身を挺して豊子を守った。しかしその際正平が豊子の衣装を踏んだためスカートがはだけてしまい、周囲は静寂に包まれた。明らかに減点となり合格しないことを悟った豊子は茫然自失となりレオタードのままその場から立ち去ろうとしたが、正平は豊子のことを無意識に気にかけ、落ちて破れたスカートで豊子の下半身を隠すように勧めた。その姿を見た妻と娘も会場から立ち去る。

大会後、妻から、かなり前からダンスをやっている事に気づいていたものの、怖くて告げられなかったと伝えられる。正平は「ダンスは浮気じゃなかった。本気だった。」と妻に謝罪し、もうダンスはやらない事を告げる。

正平は意気消沈し、ダンス教室にも行かなくなっていたが、しばらくし、正平の家に青木と豊子が訪問し、豊子はダンス中に正平がドレスを踏んでしまった事を気にしていない事と舞が教室を辞め、海外で再び社交ダンスをする決意した事を告げ、舞からの手紙を渡す。妻から浮気調査をしていた事を詫びられ、その上で舞の送別会に行くよう、またダンスを続ける様に勧められる。正平は拒否するが、娘に「ダンスを踊るパパカッコよかったよ」と言われ、娘のサポートで庭に出て初めて妻とダンスを踊る。そして夫婦の絆、そして親子の大切さを知る。

それでも正平はお別れ会には行かないつもりで、パチンコ店で時間を潰した後帰宅しようとするが、電車の中から社交ダンス教室を見上げると窓に「Shall we ダンス?杉山さん」というメッセージが貼られているのを発見する。舞のラストダンスは舞が相手を決める事になった。そこに電車でメッセージを見かけたサラリーマンスーツ姿の正平が現れ、舞は笑顔で正平に「Shall we dance?」と尋ねた。

(同作Wikipediaページより)

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2004年 草の乱

住民が制作へ積極参加

明治時代に起きた秩父地方の農民蜂起である秩父事件を題材にして2004年に公開されたのが「草の乱」です


スケールが大きいということでそれまで誰も扱わなかった秩父事件の120周年を記念して制作された同作は、制作に地域住民が積極的に参加しているのが特徴。総製作費は4億5000万円でしたが主に一般市民からの寄付によって賄われました。撮影は舞台である秩父地方を中心に行われましたが、8000人ものエキストラのうち秩父の地域住民の皆さんも多数参加しています。

こうして制作された同作は有楽町スバル座で先行上映が行われましたが、有楽町駅近くまで観覧客の列が伸びる人気ぶりだったそうです。現在でも秩父事件が起きた11/1前後に秩父地方では上映会も行われています。

ちなみに同作で主演を務めるのは、前回ご紹介した「鬼畜」の主演・緒形拳さんの息子の緒形直人さんでした。

あらすじ

1918年(大正7年)、北海道野付牛町。病床に臥すひとりの老人(緒形直人)が、妻と長男を呼び寄せ、紙に筆を走らせる。「井上伝蔵、わしの本当の名だ」。死刑判決を受け、逮捕を逃れ北海道へ。以来33年、伊藤房次郎として生きてきた。唐突な告白に息をのむ2人を前に、隠してきた半生を静かに語り始める…。

1883年(明治16年)秋、秩父郡下吉田村。山間にあるこの一帯の人々は、蚕を飼い生糸を売って暮らしを立てていた。しかし松方デフレによる生糸価格の暴落、軍備拡張の増税、さらに世界的な不況で、生糸輸出の激減が追い討ちをかける。人々は借金に頼らざるを得ない暮らしを余儀なくされ、高利の取り立てに身代限りとなる農家が続出する。

生糸商家「丸井」を営む井上伝蔵は、そんな人々の窮状に心を痛める。高岸善吉(田中実)、落合寅市(安藤一夫)、坂本宗作(神山兼三)の3人も、また困窮にあえぎ、不当な高利貸しの取り締まりを役所に請願するも、全く取り合ってもらえない。

そんな折、自由民権運動が秩父でも盛り上がりをみせ、「自由党」の演説大会が開かれる。困窮、不平等の元凶は政府にあるという発言に拍手喝采、賛同する人々が続々と入党する。善吉らは、高利貸し取り締まり、借金年賦返済の請願運動を始め、伝蔵もこれに賛同する。山中各地で集会を開き賛同者を募り、さらに加藤織平(杉本哲太)を副総理、大宮郷の顔役で代言人の田代栄助(林隆三)を総理として迎え入れ「困民党」を組織。警察署、高利貸しへ請願・交渉をねばり強く行なうが、ことごとくはねつけられる。さらに高利貸しと裁判所の贈収賄の事実も明るみとなる。

丸井の土蔵に集った困民党幹部たちは、もはや願いを叶えるには政府を打倒するしかないと、命を懸けた武装蜂起を決意する。1884年(明治17年)11月1日、秩父郡下吉田村の椋神社。陽が落ちてかがり火が焚かれた境内に、竹槍・刀・鉄砲などで武装した民衆3千余が結集。境内に上がった田代栄助が困民党の役割を読み上げ出陣を命じる。鬨の声が上がり半鐘が鳴り、竹ボラが吹かれる中、ついに武装蜂起が開始された……。

(映画.com同作ページより)

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2012年 のぼうの城

VFXで魅せる時代劇

そして皆様の記憶にも新しい埼玉が舞台の映画といったら、2012年公開の「のぼうの城」ですね!

和田竜さんの小説家デビュー作である同名の歴史小説が原作の同作。戦国時代に今の行田市に存在し、豊臣秀吉の小田原征伐にも打ち勝った忍城を舞台にしています。


水攻めのシーンを再現するために迫力あるVFX(視覚効果)が多用された同作。当初は2011年9月に公開予定だったものの同年3月の東日本大震災で発生した津波の被害に配慮し、翌2012年11月に公開されました。映画観客動員ランキングで初登場第1位は同年度の日本アカデミー賞でも優秀作品賞など数多くの賞を受賞しています。

主演ののぼうこと成田長親役を演じるのは狂言師の野村萬斎さんで、他に榮倉奈々さんや佐藤浩市さんらも出演されています。

あらすじ

周囲を湖に囲まれ、浮城とも呼ばれる忍城(おしじょう)。領主・成田氏一門の成田長親は、領民から「でくのぼう」を略して「のぼう様」と呼ばれ、親しまれる人物であった。

天下統一目前の豊臣秀吉は、関東最大の勢力北条氏の小田原城を攻略せんとしていた(小田原征伐)。豊臣側に抵抗するべく、北条氏政は関東各地の支城の城主に籠城に参加するよう通達した。支城の一つであった忍城主の氏長は、北条氏に従うように見せかけ、手勢の半数を引き連れて小田原籠城作戦に赴きつつも、裏では豊臣側への降伏を内通していた。

「武州・忍城を討ち、武功を立てよ」秀吉にそう命じられ、石田三成は大軍勢を率いて忍城に迫る。軍使として遣わされた長束正家は、成田氏が既に降伏を決めていることを知りながら、戦を仕掛けるためにあえて傲慢な振る舞いをし、まんまと策略にはまった総大将・長親は「戦」を選択した。当主・氏長より降伏を知らされていた重臣たちは、初め混乱するが覚悟を決め、かくして忍城籠城戦は幕を開けた。

三成率いる2万超の軍勢に、農民らを含めても3千強の成田勢。総大将たる長親は、将に求められる武勇も智謀も持たない、その名の通りでくのぼうのような男。だがこの男にはただ一つ、他人に好かれる才能、特に異常なほどの民からの「人気」があった。

地の利と士気の高さから、緒戦は忍城側の圧勝であった。三成は、近くを流れる利根川を利用した水攻めを行うことを決定する。総延長28キロメートルに及ぶ石田堤を建設し、忍城と城下本丸を除いて水に沈む。この水攻めに対する長親の策は、城を囲む湖に船を出して、敵兵の前で田楽踊りを披露することであった。

三成の指示で雑賀衆が田楽踊りを踊る長親を狙撃するが、長親は一命を取り留める。その後、城に入らず場外で堤作りに雇われていた百姓らも長親が撃たれたことの怒りから石田堤を壊す者が現れ、ついには水攻めが失敗する。

水が引き、三成軍が総攻撃を行おうとする矢先、小田原城が落城したとの知らせが成田勢にももたらされ、忍城も開城する。小田原城落城時までもちこたえた支城は忍城だけだった。

(同作Wikipediaページより)

2019年(公開中) あの日のオルガン

戦時中の実話を映画化

そして翔んで埼玉と同じ先日2/22に公開が始まった映画「あの日のオルガン」も、実は埼玉が舞台になっている作品です!

第2次世界大戦中に、東京の保育園が空襲から逃れるため蓮田市の古いお寺・妙楽寺に疎開してきた「疎開保育園」の実話を映画化した同作。戦時下の子どもたちはもちろん、子どもたちの命を戦火から守るために奮闘する保育士たちの姿を描いています。

「DEATH NOTE」や「SPEC」シリーズなどで知られる戸田恵梨香さんと歌手としても活躍している大原櫻子さんが、W主演として同園の保育士を演じています。

なお、先日2/23にはイオンシネマ浦和美園で主役を務めた両氏と平松恵美子監督による舞台挨拶も行われ、撮影の秘話なども披露されたということです。平松監督も蓮田市が舞台ということで、どうしても埼玉で挨拶がしたかったと思いの丈を話されていました。

あらすじ

第2次世界大戦が終局を迎えつつあった1944年。警報が鳴るたびに防空壕に避難していた品川の戸越保育所では、幼い園児たちの命を守るため保育士たちが保育所の疎開を検討していた。

さまざまな意見を持つ親たちを説得してようやく受け入れ先が決まり、埼玉の荒れ寺で疎開生活が始まる。

保育士たちは、多くの問題と向き合いながら子供たちと過ごしていたが……。

(シネマトゥデイ同作ページより)

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