20年前の2000年5月5日に街開きを迎えたさいたま新都心は、それ以降も幾度となく発展してきた。
特にコクーンシティや造幣局など東側地区の発展が著しい。
街開き後の街の移り変わりを見る。
街開き前の東側地区
同地区の主要エリアとなる西側地区が大宮操車場として利用されてきたことは先述した通りだが、東側地区はどのように利用されてきたのか。
江戸時代にあった刑場
話は遡り江戸時代になるが、当時東側地区一帯には下原刑場という刑場があった。
当時一面原野であった同地では、千住・小塚原刑場などとともに武蔵国の罪人の処刑が行われてきた。
大政奉還を経て明治時代に入ると、明治天皇の氷川神社行幸の際に地元は刑場廃止の嘆願書を提出。これを受け同地は刑場としての機能を終えることになった。
当時の様子を伺えるものは少ないが、同地を通る旧中山道沿いには供養塔・火の玉不動(大宮区吉敷町4丁目)が今も残る。
また第四銀行大宮支店(大宮区下町2丁目)脇には、涙橋と刻まれた石碑がある。これは刑場があった当時にこの地に架かっていた橋の名で、罪人の親族が罪人と最後の別れを許され罪人が涙を流し渡ったことからその名がつけられた。
2つの事業者が利用
刑場廃止後、同地区は長らく2つの事業者によって利用されてきた。
片倉工業
(三菱UFJ不動産販売より)
このうち大宮区吉敷町に属する北側は、片倉工業により製糸工場や研究所が設けられた。
1896年の大宮駅開業以降、養蚕の盛んな北関東と貿易港の横浜との間に位置する大宮は産業地域としても注目を浴び、同社もそれに応じて進出した格好だ。
1901年に東京・千駄ヶ谷から同社製糸工場が大宮区仲町付近に移転したのを皮切りに、岡谷製糸や山丸製糸といった製糸業が続々と進出し、大宮は製糸業でも著しい発展を見せた。中でも同社は1918年以降同地区北側のほとんどを所有するようになり、同社の一大製造拠点・大宮製作所として機能するようになった。
その後戦間期を経て国内の製糸業が縮小傾向を見せると、同社も同地を活用してゴルフ場や園芸店などを開き多角化経営に乗り出した。1983年には大宮カタクラパークをオープンし、イトーヨーカドーなども営業を開始した。
そして県らによりさいたま新都心整備事業が推進されるようになると、同社も同地での事業を加須へ移転させることを計画。1992年に大宮製作所は閉鎖され、90年近くに及ぶ歴史にピリオドを打った。
三菱マテリアル(三菱鉱業)
(三菱マテリアルより)
一方大宮区北袋町に属する南側は、三菱鉱業(当時)により研究所が設けられていた。
1939年に鉱業研究所を東京・品川から移転し、同社の中央研究所として機能してきた。
1959年には三菱金属が同地に原子炉の建設計画を発表。住民や大宮市議会はこれに反対したものの、建設が始まったことから民事訴訟にも発展した。結果的に1973年に三菱金属は原子炉撤去を発表し和解。原子炉の撤去が行われた。
しかし20年以上経った1999年、科学技術庁の調査により同地で放射性廃棄物による放射能汚染が発覚。人体には影響がないものの2002年より除染活動が行われてきた。(2012年に完了)
その後三菱マテリアル(1990年に三菱鉱業セメントと三菱金属が合併)は街開き後の2007年に同研究所の機能を茨城県那珂市に移転。以降は中央研究所大宮支所となり、敷地も同地南に設けられた事務所棟を除いて大部分が空き地となった。
開発進む東側地区
コクーンシティのオープン
同地区整備事業には主に北側が含まれており既存のカタクラパークと合わせ片倉工業が商業施設の展開を予定していたが、90年代のバブル崩壊に伴う不況などにより計画は遅れた。その間同地北側は都市基盤整備公団へ賃貸されていた。
街開き後の2000年夏に商業施設の計画が策定され、三井物産らと共同でショッピングセンターを建設することになった。これは第一期整備と位置付けられ、今後複数回にわたり整備が行われることを示唆した。
2003年春の公団からの返還後に建設し翌2004年春の開業を目指したが、地下水汚染が発覚したことで着工は半年遅れた。
こうした紆余曲折を経て、2004年9月17日にコクーン新都心が開業。スーパーマーケットやファッション店、シネマコンプレックス「MOVIXさいたま」などがテナントとして入った。
コクーンは英語で繭を意味するcocoonに由来し、同地が製糸で栄えたことを指している。
その後オープン10年が経過した2015年にはコクーン2とコクーン3がオープン。既存のコクーン新都心はコクーン1と名付けられ、これまでカタクラパークだった部分も含めコクーンシティとなった。
やや遅れた南側の開発
一方三菱マテリアルの用地だった南側は除染などの影響で土地区画整備が遅れ、2015年より本格的に整備が始まっている。
今も開発途上で空き地も散見されるが、2016年には造幣局が東京・池袋から移転。記念硬貨などの鋳造や展示事業が展開されている。
また大規模震災を踏まえた防災機能の強化と公園空白地域の解消の先導プロジェクトとして、2018年にはさいたま新都心公園が開園。広大な芝生広場などを有するが、緊急時には避難スペースとなることからマンホールトイレや防災パーゴラなどが設置されている。