吉川市の紹介は今回で最後となる。
2012年よりまちづくりが始まった吉川美南地域を紹介する。近年では歌にもなっており注目度が上昇中だ。
まもなく10年、新たな街
県内JRで一番新しい駅
武蔵野線で吉川駅から西船橋方面駅で一駅、吉川美南駅に降り立った。
2012年3月に開業した同駅は、同線はもとより県内JR駅では一番新しい駅となる。同市などがJRに働きかけてできた請願駅だ。
駅ホームは西船橋方面に1面1線、府中本町方面に1面2線ある。
このうち真ん中のホームはどちらの方面からも列車が進入でき、折り返しや待避にも利用されている。平日7時台には西船橋方面に始発電車も設定されており、運行上の一拠点になっている格好だ。
一日平均の乗降客数も同線では約5,200人と同線では最小だが、後述するように宅地開発が進んでいるためその数は増加傾向にある。
駅ナカで会えるなまず
橋上駅となっている同駅改札階に上がる。
売店やコンビニはないが、街の観光パンフレットや暮らしの掲示、さらに同市ゆるキャラ「なまりん」の着ぐるみも飾られている。
一角にはなまずの「だいごろう」もいる。同市内の施設や店舗にはなまずを飼育している所も多いといい、同駅もその一つだ。
昼間はあまり寝床から姿を出さないというが、それでもご丁寧にひげを漂わせて挨拶してくれた。
ちなみに同駅の名前を決める際には「吉川なまずの里」という案もあったそうだ。事実、前回紹介したなまずの養殖池も近隣にある。
駅周辺の模様
開発進む西口
改札を通り、同駅の西口に降り立った。
西口を出るとすぐ横に大きなマンションやスーパー(イオンタウン吉川美南)があり、宅地開発が進んでいることが感じとられる。
さらに進むと一戸建ての分譲住宅が多く建ち並んでいる光景が広がり、さながらニュータウンのようだ。
駅からの近さなどにもよるが、3LDKで概ね2,500〜3,500万円台が新築一戸建ての相場だ。
地域最大級の美南中央公園
西口から歩いて10分ほどの場所には美南中央公園という公園がある。
駅開業に先立つ2010年12月にオープンした同園は、サッカーや野球ができる多目的広場や健康遊具などを整えている。敷地内を全て合わせると同市内では最も広い公園だ。
あまり高い木や建造物がないため、小高い丘からは南に広がる調整池や広場などを見渡すことができ眺望も楽しい。
広い同園敷地内ではバーベキューもできるということだ。
開発進む東口
西口で宅地開発が進んでいる反面、東口ではそれほど進んでおらず造成中といったところだ。
同地では2017年より10年計画のまちづくりが始まっており、同市策定の土地利用計画に基づき東口周辺が住宅や産業、商業・業務と各利用目的に合わせて開発される予定だ。
地区全体を市民の庭と捉え、都市と自然が調和した地域を目指して日々開発が進められている。
開発後の地域人口は4,500人を見込んでいるが、SDGsの期限である2030年を前にどのような街が生まれるのか楽しみは尽きない。
この地にあった操車場とは?
公園にある「生き証人」
随所で開発途上であることがうかがえる同地域だが、近年になって開発が進められてきたのには理由がある。
その根拠となりうるものが、同駅西口から歩いて3分ほどの場所にある美南二丁目公園にある。
鉄の車輪や連結器。貨車に使われていたものというが、この貨車というのがキーワードだ。
本邦最大のコンピューター式操車場
年配の読者であれば察しがつくことだろうが、この地には武蔵野操車場があった。操車場とは車輪のついた貨車を各目的地に振り分ける広大な場所のことだ。
同操車場は1974年に武蔵野線の吉川駅と三郷駅の間にできた操車場で、全長5.2km最大幅約350mと日本最大級の規模を誇った。貨車仕分や組成に当時としては最新式のコンピューターが用いられ、カメラをもとに貨車番号を読み取りデータ化し自動的にポイントを切り替えるなど大幅な省力化が図られたのが特徴だった。
しかし、当時の国鉄の経営悪化により操車場終結型の貨物輸送からコンテナ輸送へと切り替えられ、わずか10年後の1984年に機能を停止。2年後の1986年には廃止となり翌年の国鉄分割民営化まで生き残ることはできなかった。
その後広大な跡地は更地となって荒れるに任せるままであったが、三郷寄りには1985年に新三郷駅が開業し近年ではららぽーと新三郷ができるなど急速に宅地・都市化が進んだ。
そして吉川寄りにできたのがこの吉川美南というわけだ。
今でも当時の面影を残す施設もある。駅西側の陸橋は当時の幅を保っているため、同線の線路の幅よりも橋の部分が明らかに長くなっている。