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【愛と哀しみの埼玉の歴史】移行15周年・政令指定都市さいたまはこうして生まれた その3

御無沙汰しております。

本当に申し訳ありません、突然自粛してしまいまして…。

この度はご迷惑をおかけし、深くお詫び申し上げます。

本当に申し訳ございません。

 

自粛期間でありながらいろいろリニューアルして書きたいことは山々なのですが、まずは先日からの連載を終わらせようと思います。

 

 

区役所の設立

名前はまだない

ちょっと前になってしまいますが、もろもろの基準で区分けがなされることになったさいたま市。

区域自体はほぼほぼ決まってはいましたが、この時点ではまだ区名が決まっていなかったため、A区やB区など、アルファベットの仮称で呼ばれることが多かったようです。

早期の区名の決定が待たれますね。

 

区役所の位置の基準

そして、2001年10月29日に開催された政令指定都市推進委員会で、各区の区役所の位置が次のように決まりました。


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  • A区(現在の西区):将来のまちづくりや用地確保の観点から、JR川越線の新駅(2008年開業の西大宮駅)予定地の近くに新設
  • B区(現在の北区):将来のまちづくりや用地確保の観点から、北部拠点宮原土地区画整備事業地内に新設
  • C区(現在の大宮区):既存施設活用の観点から、大宮総合行政センター(旧大宮市役所)とする
  • D区(現在の見沼区):公共施設集積の観点から、大宮武道館などがある堀崎公園周辺に新設
  • E区(現在の中央区):既存施設活用の観点から、与野総合行政センター(旧与野市役所)とする
  • F区(現在の桜区):今後の開発を考慮して、プラザウエストとして新設
  • G区(現在の浦和区):既存施設活用の観点から、浦和総合行政センター(旧浦和市役所)とする
  • H区(現在の南区):今後の開発を考慮して、JR武蔵浦和駅周辺に新設
  • I区(現在の緑区):公共施設集積の観点から、プラザイーストを新設

 

御覧のように、C,E,G区以外は新設されることとなりました。

ただ、政令市移行までは2年を切っている状況で、複合施設となるB区とF区の区役所はプレハブとしてスタートすることも合わせて決まりました。

こうして業者選定や設計を行い、翌2002年6月には新設区役所については着工となり、政令市移行直前の2003年2月にすべての新設区役所が竣工する運びとなりました。

 

 

波乱の区名決定

まず区名の公募から

さて、ここからがいよいよ本題の区名の決定のあらましです。

おそらくこの連載をご覧になっている皆さんはこちらを気にされているのでは?

2002年2月に学識経験者や市議会議員、市民団体代表から成るさいたま市区名選定委員会が設立され、初会合の中で市民から区名のアイディアを公募することが決まりました。

そして、以下のような流れで区名を決定していきます。

  1. 同年5月に区名案を公募
  2. 同年7月に委員会がその中から案を絞る
  3. 翌8月にもう一度市民意向調査を実施
  4. その結果を踏まえて最終的な区名を決める

 

なかなか斬新な区名案

そうして5月に区名案の公募が行われましたが、市の資料にその結果がありました。

長くなるので、2枚にわたってお送りします。

まずはA区とB区。

それぞれ最終的に西区と北区に決まりましたが、B区については盆栽町があるということで盆栽なんて区名案も出ていますね!

そしていずれの区にも、緑が案として挙がっているという…。

残りの区はこんな感じです。

東西南北の駅が揃っているということもあってか、旧浦和地域は駅名を区名にしようという動きも見られますね。

そして桜だったり見沼だったり緑だったり、最終的に決定となる区名がその区とは異なる区でノミネートされているという…。

今見てもなかなか斬新な結果だと思います。

 

絞り込んでの市民意向調査へ

委員会ではこの公募を踏まえて、各区の上位3案と各区の特色を表した区名案に絞りこみました。

そして、同年8月に改めて市民意向調査を行い、各区の区名案について市民の意向を計ることとなりました。

その結果がこちらです。


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大宮や浦和はもちろんのこと、基本的には地名+東西南北という案が上位に来ていますね。最終的に中央区に決まるE区もやはり「与野区」が優勢。

これで最終決定というわけではありませんでしたが、このあと更に検討に検討を重ね、同年11月に最終的に以下のとおり区名が決定しました。

  • A区:西区
  • B区:北区
  • C区:大宮区
  • D区:見沼区
  • E区:中央区
  • F区:桜区
  • G区:浦和区
  • H区:南区
  • I区:緑区

こうして見ていると、地名+東西南北というのはあまり好ましくなかったのでしょうね。住所を見た時に見間違える可能性もあるので…。


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市民の間でも賛否両論!?

こうして区名が決まるには決まったのですが、それを伝える当時の産経新聞の記事を市の資料から。

その中にあったのが、中央区のエピソード。

委員会でも、与野地域外に住んでいる人は地名が無くなるのはもってのほかということで与野区を推したようですが、与野地域に住んでいる人は全国的な知名度もないからということで中央区を推していたようですね。

そんな裏話があったのか…。

 

さらに有名なのが、見沼区の名前ですね。

沼と付くのは何事だということで、区名変更の署名運動も行われたようです。

おいおい…。

 

 

国との対応

移行手続き最終段階へ

こうして市内、そして県内では移行に向けて着々と準備が進んでいたのですが、その名前にもあるように政令指定都市になるには、なんといっても国に向えての手続きも欠かせません。

市の推進委員会も、県の担当者同行の下で、地方自治を統括する総務省へ定期的に状況説明を行っていました。

着々と準備が進んでいることを把握した総務省もこれに納得し、あとは総務大臣への要望という段階まで来ました。

 

正式に政令市移行を要望

そして2002年8月9日、市長と市議会議長、県知事に県議会議長がそろって総務大臣の片山虎之助氏のもとを訪れ、市議会と県議会で可決された政令市移行への要望書及び意見書を提出し、無事に受理されました。

こうして、合併に向けての国とのやり取りはほぼ終結し、地域内での細かい準備はありますが、閣議決定される日を待つこととなったというわけです。

 

ちょっと間が空いちゃいましたが、この連載も次回で最後にしようと思います。

次回もお楽しみに!

 

つづく

(資料出典:「政令指定都市化への歩み」さいたま市 2004年発行)

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