
長瀞町の紹介は今回で最後となる。
一晩過ごした長瀞荘にほどちかい埼玉県立自然の博物館を訪ねた。
県下唯一の自然系博物館
おがの化石館の紹介でも触れたが、長瀞含む秩父地区は日本の地質学発祥の地とされるほど地質学的に貴重な資源や発掘物が多く、現在では一帯がジオパーク秩父とされその魅力向上やPRが盛んに行われている。
その一角に建つ同館は、1921年に秩父鉄道によって秩父植物鉱物標本陳列所として設立。戦後に秩父自然科学博物館への改名を経て1979年一時閉館した。
その後所蔵品が埼玉県へと移管され、1981年に現行の県立博物館として再スタートを切った。比較的人文科学系の展示が多い県立博物館の中で、唯一の自然科学系博物館として君臨する。
なお建物の設計は、大宮にある県立歴史と民俗の博物館を設計した前川國男建築設計事務所が担当。類似する出で立ちとなっている。
入館者迎える巨大サメ
感染防止のため入館者が少ないであろう開館直後を狙ったが、さすがは同館。朝早くからこどもを連れた家族での来館が多く見られた。
入館すると巨大なサメが出迎えてくれる。メガロドンという2500万年前〜400万年前に生きていたとされるサメだ。
新生代新第三紀中新世に最も繁栄し、鮮新世に絶滅したとされる。
全長は4階建ビルに相当する12mで、今生きている種でもここまで大きなものはいないだろう。
全身骨格が見つかったわけではないのだが、1986年に深谷市菅沼の荒川河床で発見された73本に及ぶ歯の化石から全身の大きさを推測している。
約1000万年前の地層から見つかったが、一個体分に相当する歯がこれほど見つかったのは世界的にも類例はない。
歯の大きさから推測される顎骨格の復元模型も展示。口を開くと1.5mほどあり、大人であっても悠々と飲み込んでしまいそうだ。
大地の贈り物 秩父の鉱物資源
化石を含む動植物や地質学関係の展示が主体の同館。
順路に沿って進むとまずは長瀞の特徴や県土の成り立ち、地域で採れた鉱物・鉱石類などを展示する。
秩父地区だけでもスレートや石灰岩など多くの種類の鉱石が見つかっていることがわかる。
加えて、かつて採掘で栄えた秩父鉱山の鉱物標本も多数展示。硫酸の原料となった黄鉄鉱や閃亜鉛鉱などの鉱物を展示するが、光の反射で輝くものもあり見ていて楽しい。
同鉱山では金も見つかっているが、硫化鉱物の隙間で細長く紐状となった「糸金」という産状で見つかることが多いという。
新型コロナの影響で金相場が上がっているというが、今でも秩父の山々を掘れば金は出てくるのかもしれない。無論、可能性は著しく低いことであろうが。
ちなみに同町域に広く分布する結晶片岩は稀に自然銅を含んでいることがある。708年に朝廷に献上され元号が和銅となるきっかけとなった銅も、同町域で生成されたものである可能性が高いという。
天然記念物指定も 所蔵の化石類
これが本物!パレオパラドキシア骨格
そして同館の見どころを語る上で欠かせないのが化石類だ。
目玉は広がっていた秩父湾に生息していた奇獣・パレオパラドキシアの骨格。こちらは再現模型で優雅に海を泳ぐ様子がイメージできる。
それらに加えて、実際に発掘された骨格化石の現物を展示する。
こちらは1972年に秩父市大野原で地元高校生により発見された個体。国内では2例目の発見例で、頭から腰までの骨格がほぼ完全な姿で見つかっている。
さらにこちらはおがの化石館でも触れた、1981年に小鹿野町の採石場で見つかった個体。
約3トンの岩塊から見つかった同個体は頭骨と手足の一部を欠いているものの、肋骨には骨折やフジツボが見られ背骨にはサメの歯も付着していた。海底で息絶えた後にサメに噛まれたものと見られている。
世界で一つ 新種のヒゲクジラ
こちらは1984年に、秩父市大野原のパレオパラドキシア発見地に近い荒川河床で見つかったヒゲクジラの骨格化石。
体の骨はなかったものの、頭骸骨や左下顎や脊椎が見つかった。
その後の調査により、約1500万年前に生息していたとされる同個体は現在のクジラより前に鼻孔があることがわかった。これは今までに見つかったどのクジラの化石にも当てはまらない。こうしたことから2003年、この標本をもとに新種のチチブクジラが命名された。
前述のパレオパラドキシアの骨格化石2点やこのチチブクジラの骨格化石含む同館所蔵の9点の化石は、2016年に古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群として国の天然記念物に指定されている。