起死回生だ!川越市 その4 威風堂々!威厳衰えぬ川越城

こんばんは。

城下町川越のご紹介、まだまだ続きます!

 

川越藩の中心・川越城

漫画にも出てきた初雁球場

さあ、川越氷川神社を後にして、再び自転車に乗って中心市街地方面に向かうとしましょう!

ふう、正午に近づくにつれて気温も高くなってきたな。

途中コンビニでペットボトル飲料を買い、水分補給しつつ自転車をこいでいきます。

そうして10分ほど自転車をこいで、目的のサイクルスタンドに自転車を停めます。

そうしてやってきたのは初雁公園。

広大な敷地の公園内には、川越初雁野球場もあります。

主に高校野球や少年野球の大会に使われることが多いのですが、埼玉県を舞台にした野球漫画「おおきく振りかぶって」にも登場したことがあるということです。

なんだか、大宮球場を思い出すなぁ。

 

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天守閣こそないけれど

そうして敷地内には、こんな古風な建物が。

お、見た目からして銭湯かな?一風呂浴びていこうか。

いいえ、違います。

こここそが、江戸の母とも呼ばれた川越の政治的拠点であった川越城です。

お城というと、大阪城などのように立派な天守閣がそびえたつものを思い浮かべることが多いかもしれませんが、こちらのお城は平屋建てのお城なんです。

またの名を初雁城とも呼ばれているお城なんですよ。

 

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土足では行けませぬ

では中に入っていきます。

こちらのお城ですが、土足厳禁となっております。

入る前に玄関で靴を脱ぎ、靴は玄関で配布している袋に入れて携行しましょう。

そうして、所定の入館料を支払い、奥へと進んでいきます。

時代劇でよく見るような木張りの床で、歩くとそこまで大きくはないですがギシギシ鳴りますね!

 

 

外にはきれいな枯山水

館内の全体図です。

後述しますが、以前は広大な建物であったお城は、現在では本丸御殿のみ残されています。

いくつかのお座敷の間から成る館内。

立ち入ることはできませんが、こちらは主に使者が使っていたようですね。

そして、外には見事な枯山水の日本庭園!

これだけ見ると、京都の寺院と間違えそうですね。

埼玉にも、京都に負けない史跡があるのだなぁ。

 

昔は横に広かった!?

太田道灌らによって築城

館内にあった資料から、川越城の歴史を簡単にお話しします。

城は今から約450年前の室町時代1457年に、太田道真・道灌親子らによって築かれました。

当時、鎌倉幕府が滅びた武蔵の地では、古河に拠点を置く古河公方と上杉氏による覇権争いが繰り広げられていました。その上杉氏の拠点として築かれたのが、川越城です。

 

川越夜戦の舞台に

その後1500年になると、小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏が川越城を配下に収めようと上杉氏に戦いを挑みます。

幾度かの戦いの末、1537年ついに後北条氏は川越城を配下に収めました。

対する上杉氏もこれに黙ってはいられず1546年に対立していた古河公方と結託し、川越城の奪還をもくろみますが、後北条氏の夜襲で奪還ならず。

これが日本三大夜戦の一つである川越夜戦です。

 

江戸幕府の重要拠点に

その後1590年の豊臣秀吉の関東攻略に際して、前田利家らが攻め入りました。

ですが、同年8月に徳川家康が江戸城に入城。1600年に大坂夏の陣で豊臣氏に打ち勝った家康によって、1603年には江戸幕府が開かれます。

江戸に近いということで、幕府の重鎮が置かれて幕府の重要拠点となった川越城。

中でも1639年に城主となった松平信綱は、城の拡張整備を行い、同時の川越城は本丸・二の丸をはじめ、3つのやぐらや13の門を有する総面積約32万平方メートルにも広がったといいます。

縦は高くないのですが、横が広かったのですよ!

 

たばこ工場だったことも

およそ200年が経過した1846年に二の丸にあった御殿が消失し、現在残されている本丸御殿が建造されました。

ですが、長きにわたった江戸時代が終わり、明治時代を迎えると、敷地内の多くの建物が解体・移築の憂き目にあいました。

残されたのは、再建された本丸のうち、上の画像の赤枠の部分のみです。

そして廃藩置県が伴って入間県が設置されると、川越城はその庁舎になりましたが、直に埼玉県が誕生し、用済みとなります。

その後は集会場や中学校の校舎などに使われていましたが、1918年から1933年にかけてはなんとたばこ工場にもなったということですよ!意外…。

現在のような保存施設となったのは大規模な修理工事が施された1967年です。

 

 

奥で怪しい会議中!?

移築された家老詰所

そして、本丸御殿の奥には、なにやら別の建物に続く渡り廊下のようなものがあります。

一体どんな建物があるんだろう。

こちらも平屋の家老詰所です。

参勤交代のあった江戸時代では、基本的には異動がない藩の家老が実質的な政務を行っていました。

その家老の活動拠点が、この家老詰所だったということです。

こちらの建物は、上記のように明治時代に解体されて、ふじみ野市内の商家に移築されていたのですが、1987年に川越城の老中詰所と判明し、後年この場所へと移築されました。

ただ、元あった場所に移築されたわけではなく、実際には現在の川越城の隣にある県立川越高校の敷地内に建っていたということです。

 

想像しちゃうあのセリフ

商家に移築されただけあって、建物の中は昔ながらの家といった感じですね。

住もうと思えば、このまま住めそう。

そして奥では、!?

時代劇の撮影か!?

いいえ、これは家老を模したお人形です。

生身の人間ではないので、ご安心を。

越後屋、お主もワルよのぉ

いえいえ、お代官様ほどでは…

 

ダメだ、こういうのを見ると、どうしてもこんなセリフが頭の中に浮かんできてしまう…。

 

 

あの童謡の由来の神社

本堂は改修工事中

さて、川越城の内部はこれくらいにして、その周りのスポットをご紹介いたします。

川越城のすぐ隣には、三芳野神社という神社があります。

川越城ができる前からこの地にあったという神社。

本殿は、1624年に三代将軍徳川家光の命を受けた川越藩主酒井忠勝によって作られたものです。

ですが、あいにく改修工事ですね…。

城の中にあったことから…

この神社は城ができると、城の内部に位置することになり一般人の参詣が難しくなりました。

それでも、強く信仰されていたために城側も時間を区切って参詣を許していましたが、城内の神社にたどり着くには城の門を通って細い小道を歩かなければならず、なおかつ帰る際には城の警備にあたる人に厳しい取り調べを受けたといいます。

そこから「行きはよいよい、帰りは怖い」と歌われるようになりました。

そう、あの「とおりゃんせ」のもとになった神社なんです!

 

境内に伝わる七不思議

また、境内には川越城に伝わる七不思議の石碑が建っています

「初雁の杉」「霧吹きの井戸」「人身御供」「天神洗足の井水」「片葉の葦」「遊女川の小石供養」「城中蹄の音」という七不思議のようです。

なかでも初雁の杉とは、川越城の別称である初雁城の由来になったもので、毎年同じ時期に北から初雁が飛来し、境内の杉の真上で三回鳴き三度回り、南に飛び去ったということで、道灌が初雁城と呼ぶようになったということです。

へぇ~。

写真を撮り忘れましたが、境内にはこの杉の木も残されています。

 

歴史を伝える市立博物館・市立美術館

時間の都合上立ち寄りはしませんでしたが、近くには市が運営する川越市立博物館と、市立美術館もあります。

前者は市内の歴史や民俗について、後者は市出身の芸術家による作品が展示されています。

後述するように、川越城をはじめとした市内の指定施設との共通入館券も販売中ですよ。

さあ、そろそろお昼時だし、移動してランチにしようか。

まだまだ続くぞ、次回もズームイン!

 

つづく

 

施設紹介

川越城

  • 住所:埼玉県川越市郭町2-13-1
  • 電話番号:049-222-5399
  • 開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
  • 休館日:月曜日(休日の場合は翌日),年末年始(12/29~1/3),館内整理日(毎月第4金曜日,休日除く)
  • 入館料:一般¥100円,大学生・高校生¥50円(20人以上の団体で2割引,中学生以下無料)
  • 備考:市立博物館,美術館,まつり会館などとの共通入場券あり,毎月8が付く日に着物を着て行くと入館料が団体料金に

 

◇三芳野神社

  • 住所:埼玉県川越市郭町2-25-11

 

 

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