【埼事記 2021/11/14】埼玉県150周年 過渡期に地域はどこへ向かう

■「都会に出た若者が、血縁地縁の地域社会に戻るなんて考えられません。戻る理由がないですからね。いやいや戻るんです」

「上を向いて歩こう」の作詞などで知られる放送作家・永六輔氏(1933〜2016)はかのように述べている。

高度経済成長期は「金の卵」として地域から多くの若者が集団上京してきた。賃金が高い東京へ人々が流出したことで地域は疲弊した。そうした人々も地域を捨てたように見えるが、それでも心の中では捨てきれない。一見矛盾したような人間の心理を謳っている。

■本日11/14で埼玉県は誕生から150周年を迎えた。

現在の県域が固まるのは少し後になるが、ちょうど150年前に当たる1871(明治4)年の本日、忍県・岩槻県・浦和県の3県が合併、「埼玉県」の名がこの世に出た。

廃藩置県という全国的な地域の再編による一環ではあったものの、古くは武蔵国と言われた地域は首都東京と独立した地域として君臨し続けた。

東京の補完地域という側面は持ちながらも、いまでは全国で第5位の人口を誇る地域として存在し続けている。社会全体で人口減少が叫ばれる中でまだ流入者も多い状態ゆえ今後も発展する可能性は十分に残されている。

■幾多に及ぶ戦争や高度経済成長、バブル崩壊を経て、我が国の社会は本格的な少子高齢時代に突入した。人口減少が進んでいる地域もあり、今は人口増にあやかっている埼玉もいずれは人口減に転じるのも否定できない。

加えて、グローバル化に伴う技術・産業基盤の弱体化や昨今のコロナ禍に伴う社会不安の増大と、社会は日々めまぐるしく変動している。

埼玉が生まれた150年前も諸外国との接触による明治維新という大きな変化が社会に起きていた。その時とはだいぶ様相が異なるが、今の社会も過渡期にあることは間違いない。

■そのような中で埼玉という地域はどこへ向かおうとしているのだろうか。

その方向ははっきりとは見えないが、一つ言えることとしてコロナ禍や少子高齢化により人々の生活圏が縮まっていることがある。

コロナ禍前からではあるが、働き方改革としてテレワークの導入が推奨されていた。コロナ禍による外出自粛で一気に浸透したきらいがあるが、テレワークの導入によりそれまで埼玉の自宅と東京の会社が生活圏だった人も埼玉の自宅周辺が生活圏に変わっている。加えて高齢化ともなれば、足腰が弱くなる故に遠出は難しくなる。コンパクトシティという概念があるように生活圏は自宅周辺にならざるを得ない。

高度経済成長期までは企業や生産拠点の東京一極集中が相次いでいたが、バブル経済などを契機として賃金が安く災害リスクも低い地方への移転が多くなっている。それでも東京への人の流れは続いていたが、コロナが状況を大きく変えた。むしろ東京よりも地域にいる時間の方が増えている。

事業も人も地域でという潮流が出来上がりつつある。

■今まで地方のモノやカネはすべからく東京に流れてしまっていた。しかし人も地域にとどまるようになれば、地域内で経済循環が生まれるようになる。

コロナや高齢化と同時にグローバル化も進行し地域の空洞化が指摘されるようになっているが、これこそが今後の埼玉が向かう先の足がかりになりうる。

地域内での経済循環を通じて、今まで東京や大阪で生まれていたヒトモノカネの循環を地域で実現する。新たな付加価値の創出や技術革新を実現し世界へ発進していく。同時に高齢者にとってもこどもにとっても住みやすい地域を創造していくことで、少子高齢社会における突破口を開いていく。

いわば21世紀におけるユートピアこそ、埼玉が目指す姿である。

■「真の国際人となるのに最重要なのは、自国のよき文化、伝統、情緒をきちんと身につけることであり、郷土や祖国への誇りや愛情を抱くことである。たとえば外国語が堪能であっても、これら基盤なくしては、国籍不明人にはなれても国際人にはなれない。このような心なしに、他国人のそんな心を理解することもできないからである」

数学者の藤原正彦氏の言葉であるが、そのためには世界と向き合う我々一人ひとりも相互理解へ向けて郷土への誇りや愛情を抱く必要がありそうだ。

先日発表された都道府県魅力度ランキングでも地域への愛着度は45位という結果だったようだが、住みやすいという声もまた多く挙がっている。「21世紀におけるユートピア」を目指すのは決して無謀な挑戦ではないし、そうなるポテンシャルは十分にある。

社会の再生および変革の急先鋒たる地域、150年後の埼玉はそのような地域として映るだろうか。

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