【日々是埼玉 2019/12/2】人形博物館に合併15周年 2020年は岩槻がアツい!

いよいよ来年2020年に人形博物館が開館するさいたま市岩槻区。

そんな同区は、来年さいたま市への合併15周年を迎えます!

岩槻区ってどんなところ?

区のプロフィール

まずは簡単に同区の紹介から。

約11万人が居住する岩槻区はさいたま市東部に位置する行政区の一つ。

区域面積は49.17㎢でこれはさいたま市の10区の中では最大です。東西約4.9km・南北約14.8kmと細長い形をしている区域は、後述するように中心部では歴史的なスポットも多い一方で周辺には元荒川の水辺など豊かな自然環境も広がっています。

交通手段としては大宮駅からの東武アーバンパークラインをはじめ、東北自動車道の岩槻インターチェンジも位置しています。なお緑区の浦和美園駅から岩槻駅への埼玉高速鉄道線の延伸が計画されています。

また目白大学や人間総合科学大学といった教育機関も立地しています。

かつての城下町

1万年以上前から人が住んでいたとされる同地域ですが、岩槻の名が歴史上初めて登場するのが室町時代初期に書かれた「長谷河親資着到状」(はせがわちかすけちゃくとうじょう)という古文書。岩付と称される場所で合戦があったことが記されています。

江戸時代に治水工事が行われるまでは利根川や荒川といった大河が流れていた地区は、古くより交通や軍事上の一大拠点となっていました。このため1457年には江戸城を築いたことでも知られる太田道灌によって岩付城(岩槻城)が築城されます。

1590年には後北条氏が滅亡し徳川家康の家臣の高力清長が入城。その後江戸時代は、大岡家岩槻藩2万2千石の城下町、また日光御成街道の宿場町として大いに繁栄しました。中心街には現在も宿場町の面影が残っています。

明治時代には埼玉県の前身となった岩槻県が設けられるなど県東部の政治経済の中心であった同地域。1954年には周辺一帯が岩槻市となりました。

そして21世紀に入った2005年4月1日、同市はさいたま市と合併し地域一帯が岩槻区となりました。

世界に誇る伝統工芸・岩槻人形

そんな同地区の名物といったら、何と言っても岩槻人形!

雛人形だけでなく、木目込人形や市松人形など様々な種類の人形が作られている同地区。それらは総称して岩槻人形と言われています。

同品が作られるようになった経緯は諸説ありますが、日光街道の宿場町であった同地区には日光東照宮の造営や修築にあたった工匠が住みつき同地区の桐粉や水が人形作りに最適だったということで人形作りが行われるようになったという説が有力です。以来岩槻藩の専売品として一大産業になりました。

その後は関東大震災による都内人形作家の移住などにより、一層品質を上げた同品。元の技術レベルや都心から近いこともあってか、鴻巣や所沢など他の県内の生産地の追随を許さないほどに成長しています。

現在では江戸木目込人形と岩槻人形が経済産業大臣から伝統的工芸品として指定されており、生産量・生産額とも日本一の人形のまちとなっています。そして人形制作を行う事業所も地域内には数多く存在しています。

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