吉川市内には寺社も多く存在する。
総鎮守として地域で古くより信仰されている芳川神社などを実際に尋ねた。
地域の守り神・芳川神社
吉川駅北口から中川沿いに歩いて10分ほどの場所に鎮座するのが芳川神社だ。
同社の歴史
狩猟・農耕の神として名高い建御名方命(たけみなかたのみこと)を祀る同社は、鎌倉時代に入る直前の1187年に同地に興った武士・吉川氏が土着神を氏神諏訪神社としてが再興したことに始まる。
応永年間には下総国戸張村に住み戸張城主の一族である戸張氏が戦に破れて、この地に移住。以来氏子を務めてきている。
拝殿は1848年に火災に遭うが、1850年に再築され現在に至っている。
また1908年には34神社が合祀されたことを機に、社名が現在の芳川神社となった。
摂社について
本社の他に境内には7の摂社がある。
このうち芳川天満宮は学問の神様である菅原道真を祀っている。祠の前には絵馬掛けもある。
そして京都八坂神社からの分御魂を祀る八坂神社では、後述するように毎年夏になると吉川八坂祭りが執り行われる。
神輿が宙を舞う⁉︎吉川八坂祭りの暴れ神輿
摂社・吉川八坂神社においては毎年7/15に例祭・吉川八坂祭りが行われるが、それに合わせて7月の第3土曜・日曜日には暴れ神輿が行われている。
祭りの概要
同祭は400年の歴史を持ち、俗称を天王様という。商売繁盛・五穀豊穣・悪疫退散を祈念し、周辺の平沼地域の氏子が奉仕する吉川八坂神社の祭儀だ。
その始まりは、1602年に当時の吉川宿が分村され初代の神輿が製作された時になる。当時、一つの神輿が各町を巡行し集落境で受け渡しを行っていた。しかし、渡したくない側と早く受けたい側とで渡し渋りが続き、明け方近くまで続くことも珍しくなかったそうだ。
その後は各町内で御輿を所持するようになった。それでも同社に祀られている御神体を御神輿殿から出し、その前で各町内の神輿を自分の町内に祭り込み繰り出させるための儀式が終わらないと、各町内の神輿が自己の町内に祭り込むことはできないとされている。御輿が一つであった時の受け渡しが、別の形で続いているという格好か。
暴れ神輿について
同祭では暴れ神輿と呼ばれる行事も行われる。
これは神輿を頭上高く差し上げ、更に上に投げあげるというもの。
江戸時代から大正末期にかけて平沼地区は中川を中心とした水運の中継点として河岸場が栄えていたが、ここで働く船頭達の力自慢が発祥ということだ。
かなり危険度の高い行事であることは動画からも見てとれるが、それでも怪我人やトラブルなどは皆無なのだという。
もともと7/9〜15まで行われてきた祭祀も近年では7/15直近の土日に執り行われているが、1991年よりよしかわ観光協会の提案で、二日目夕刻には平沼地区十町から九基の神輿が集まり、暴れ神輿の競演が同社東のイチョウ通りにて行われている。
各町の神輿が競い合って投げ上げられる様は、まさに圧巻だ。