【愛と哀しみの埼玉の歴史】あの名優も出ていた!埼玉が舞台の実写映画 その1

「翔んで埼玉」の大ヒットにあやかって、久々に愛と哀しみの埼玉シリーズを更新します!

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特に埼玉で大ヒット!

先日2/22に全国公開が始まった映画「翔んで埼玉」。「パタリロ!」などで知られる魔夜峰央氏が原作の、埼玉をディスった作風の異色の漫画がまさかの実写映画となりました。

管理人も公開初日にレイトショーで観ましたが、ぜひ最後まで目を離さずご覧いただきたいと思える映画です!

埼玉が全国1位!

そんな同作、先週末の全国映画動員ランキングで1位を獲得しました。それも都道府県別興収シェアで見ると、なんと我が埼玉県が東京をおさえて全国1位になったという盛況っぷり!

埼玉をディスったはずの映画が埼玉で愛されるという、思ってもない(?)現象が起きているわけです。

 

映画の公開そしてますますのヒットを祈念して、今回は同じく埼玉を舞台に制作された実写映画を時系列順にご紹介していこうと思います。

2回に分けますが、今回は1980年代までで代表的な作品をご紹介します。

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1929年 あゝ玉杯に花うけて

戦前の浦和が舞台

埼玉を舞台にした実写映画で最古のものとみられるのは、1929年に公開された「あゝ玉杯に花うけて」です。

1929年に小澤得二監督によって制作・公開された同作は、佐藤紅緑の同名の小説が原作。

北足立郡浦和町(現在のさいたま市浦和区)を舞台としており、戦前の都市化が進行する前の浦和の風景が描かれています。

後述するように貧困に悩みながらも当時の名門・第一高等学校(現在の東京大学)に通うことができた主人公の姿は、当時の少年少女に大いなる感動をもたらし、梶原一騎の作品にも影響を与えているといいます。

あらすじ

埼玉県北足立郡浦和町に住む青木千三(チビ公)は小学校時代は町一番の秀才だったが、家が貧しいため進学することができず、叔父の豆腐屋の手伝いをしている。一方、彼の同級生で勉強仲間だった柳光一や、町役場の助役の子・阪井巌(生蕃)は浦和中学校に通っている。チビ公は、経済的に裕福で喧嘩の強い生蕃から街中でしばしば侮辱を受けるが、小学校時代と変わらない態度で接する光一の友情に助けられる。

こうした中、チビ公の身を案じる光一は、父の学資を受けて中学に進学する気はないかと提案するが、チビ公は「わがままと思うかもしれないが、それはできない。失敗したところで誰の迷惑もかけない。ぼくは独力でやりたいんだ」と断る。これを聞いた光一は己の不明を恥じて、彼の意思を尊重する。

チビ公は叔父の豆腐屋の業績が上向いたことから、黙々先生の私塾・黙々塾に通うことを許される。そこで第一高等学校(一高)に通うOBの安場五郎と出会い、彼と同じ道を歩むことを希望するようになる。チビ公は黙々塾と浦和中との野球試合では劣勢を覆して勝利を収め、子供同士の抗争、町内の学生を集めた弁論会、生蕃の父の不正問題、光一の妹・文子の非行など様々な経験をする。

その後、チビ公は努力が実を結んで光一と共に一高生となると寮歌「嗚呼玉杯」を高らかに歌い、改心した生蕃も1年遅れで一高へ進学し、努力の末に優秀な成績で大学へ進学したという後日談が語られて物語を終える。

(同作Wikipediaページより)

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1954年 秩父水滸伝

幕末〜明治期の秩父が舞台

終戦を経た1954年には、その名の通り秩父を舞台にした秩父水滸伝が公開されました。

読売新聞に連載された村松梢風原作の小説が小石栄一監督によって映画化されたもので、後述するように幕末から明治時代初期にかけての秩父地方が舞台になっています。

なお、1950年代には同作以外にも秩父山麓を舞台にした「赤胴鈴之助 黒雲谷の雷人」(1958年)や「新吾十番勝負」(1959年)といった時代劇作品も公開されています。

あらすじ

幕末の頃、秩父の町には荒川を挟んで東に小野派一刀流高野苗正、西に甲原流逸見義年が道場を構えて対立していた。

世は明治と改り、苗正の孫佐三郎は幼くして剣に長じ、祖父に代って道場を守り、逸見道場では岡田伝七郎と佐々木善三郎両剣士が指南役となり、その頃結成された秩父自由党の暗躍に加担していた。佐三郎も或る日、剣術興行の見世物小屋で女剣士佐久間花子の剣舞を見た時、党主田代から助勢を乞われたが、暴動を嫌う彼は即座に拒絶した。

やがて町には自由党一揆の焼打ちが始まり、佐々木は薪炭商万屋三之助の娘おあいを嫁にくれねばその家に押入ると脅迫する。万屋と親しく、おあいと恋仲の佐三郎は一家の守護を引受けた。その夜、佐々木は暴徒を率いて万屋に押入り、佐三郎は止むなく真剣を取って佐々木を斬り斃した。騒動は間もなく鎮圧され、佐三郎も正当防衛で無罪となったが、逸見道場の岡田から目に余る挑戦を受けついに佐三郎もそれに応じた。

だが勝負は佐三郎の惨敗に終り、面目を失った彼は即日東京へ出発した。春風館山岡鉄舟の道場で日夜鍛練をつづけ、両国署の教師として勤務した。一日同僚川崎と剣術見世物に立ちよった彼は、計らずも女剣士花子と再会したが、以来花子の誘惑に負け、泥沼の様な愛慾生活を送った。

然し花子の旦那上州寅の手先達に両国橋上で襲われた彼は、相手を打ち倒して後、初めて我が身の堕落を後悔する。而も仇敵岡田が両国署員を打ちのめして帰ったと聞き、再び山岡道場に入門して激しい稽古を積む。やがて岡田に果し状を送った彼は秩父山上で木刀を持って真剣の岡田に打ち勝った。

〜以下略〜

(映画.comより)

1962年 キューポラのある街

言わずと知れた代表格

時は流れて1962年、この年埼玉が舞台の作品の代表格とも言える「キューポラのある街」が公開されました。

早船ちよの小説を基にした同作は、当時は鋳物の街として最盛期を迎えていた川口市を舞台とした青春ドラマ。キューポラとは鉄の溶解炉のことで、この時代の川口市には多くの鋳物工場があったため街の至る所に見られました。

浦山桐郎監督がメガホンをとり、ブルーリボン賞作品賞にも輝きました同作。主人公・石黒ジュン役を務めたのは当時17歳の吉永小百合さんなのはあまりにも有名です。吉永さんはこの作品で同賞主演女優賞などを受賞し、女優として一気に知名度を上げました。吉永さん以外にも、東野英治郎さんや菅井きんさんや吉行和子さんや小林昭二さんと昭和の名優が数多く出演しています。

なお、3年後の1965年には続編となる「未成年 続・キューポラのある街」も公開されており、原作にないストーリーとなっています。

あらすじ

中学3年の石黒ジュン(吉永小百合)は、鋳物工場の直立炉(キューポラ)が立ち並ぶ埼玉県川口市の鋳物職人の長女である。何事にも前向きで、高校進学を目指すジュンだが、父・辰五郎(東野英治郎)が工場を解雇されたため、家計は火の車で、修学旅行に行くことも諦めていた。

自力で高校の入学費用を貯めようと、パチンコ屋でアルバイトを始めるジュン。担任教師の助力で修学旅行にも行けることになった。しかし、ようやく再就職した父親は、待遇が不満で仕事をやめてしまった。絶望したジュンは女友達と遊び歩き、危うく不良少年たちに乱暴されかけた。

全日制の高校進学を取りやめて、就職を決断するジュン。北朝鮮への帰還問題で苦悩する朝鮮人の一家や、貧しくとも力強く生きる人々との交流を通じて、ジュンは、自立して働きながら定時制高等学校で学び続けることに意義を見出したのだった。

(同作Wikipediaページより)

1978年 鬼畜

松本清張の小説が原作

1978年には、川越市を舞台にした映画「鬼畜」が公開されました。

松本清張による同名の短編小説が原作の同作は、実際に起きた事件を基にしたフィクションです。

主演を務めたのは岩下志麻さんと緒形拳さん。これ以外に大竹しのぶさんや田中邦衛さん、蟹江敬三さんも脇役で出演しています。なお当初主演に考えられていたのは緒方さんではなく渥美清さんでしたが、同氏の代表作である「男はつらいよ」との兼ね合いもあり緒方さんに変更になったということです。

ちなみに同時上映は、「砂の器」のリバイバル上映だったそうですよ。

予告編を見ると、当時の東武東上線男衾駅や川越市駅が登場しているのがわかります。

 

あらすじ

舞台は埼玉県・川越市。印刷屋を営む宗吉(緒形拳)は、妻・お梅(岩下志麻)に隠れ、料理屋の女中・菊代(小川真由美)を妾として囲い、7年の間に3人の子供を産ませていた。しかし宗吉の印刷屋は火事で設備の大半を失い、再建しようにも得意先の大半を大手の印刷会社に奪われ、融資の都合もつかず火の車。菊代に月々の生活費も渡せなくなっていた。生活に窮し業を煮やした菊代は3人の子を連れ、印刷屋に乗り込んできた。

愛人と隠し子の存在を知ったお梅は激怒し、子供たちの前で菊代と宗吉を攻め立てる。そして翌朝、菊代は印刷屋に子供たちを置き去りにして姿を消した。父として、なんとか子供たちを家に置いてやりたいと思う宗吉だったが、はなから「他人様の子供」など育てる気の無いお梅は、子供たちに鬼のようにつらく当たるのだった。まさに虐待そのものだったが、気弱な宗吉は子供たちに「おばちゃんの傍に行ったらだめだぞ」といい含めるのみだった。

ついに末子である次男・庄二が、お梅による育児放棄の末、衰弱死する。お梅は残りの子供も処分することを宗吉にせまり、宗吉は長女・良子を東京タワーに連れて行き、置き去りにする。さらに長男・利一をも毒殺しようとするものの果たせず、2人で涙に暮れる。

それでもお梅は譲らず、宗吉は息子を連れ、東海道新幹線に乗った。それは利一の死に場所を探すための、あてのない旅だった。やがて能登半島にたどり着き、日本海を臨む岸壁で、宗吉は利一を海に落す。利一は、漁師に助けられ命をとり止めたが、刑事達に事情を聞かれても、黙秘を貫くのだった。しかし利一の持ち物(石版印刷に使用する石材のかけら。利一はこれを石蹴り遊びに使っていた)から足が付き、川越の印刷所に能登の警察が来訪。宗吉は殺人未遂の容疑で警察に拘束される。

刑事に付き添われ、宗吉は北陸の警察を訪れる。自身を崖から突き落とした父を目のあたりにしても、利一は刑事達に宗吉のことを庇い、涙を堪えながら「知らないおじさんだよ!」と否定する。そんな利一にすがりつき、宗吉は後悔と罪悪感で号泣するのだった。

(同作Wikipediaページより)

1986年 愛の陽炎

あのタレントの映画初主演作

1986年には橋本忍監督「愛の陽炎」が公開されました。

同監督が製材会社に在籍していた際の経験が元の同作。オカルト的な要素を交えて、ドロドロした愛憎劇となっています。

それまでテレビドラマを中心に活躍していたタレントのいとうまい子さん(当時は伊藤麻衣子表記)の、映画初主演作でした。これを機に女優としてのキャリアを本格的に積んでいかれました。

あらすじ

舞台は埼玉県西部地域。飯能市の製材所で働く20歳の新井ルミ子(伊藤麻衣子)は、職場に出入りする運転手・関口岩松(萩原流行)と恋に落ち、やがて婚約し肉体関係を持つ。ルミ子は結婚して日高市高麗の高台の一軒家で関口と暮らす夢を抱き、二人でこつこつ貯金をし結婚の準備をしている。ルミ子と同居していた祖母は、関口の性格は認めつつも、あまり良い印象をルミ子に語らない。祖母はその後、病院で関口が女子高生の中絶に付き添っていたとの噂を聞く。

家を建てるための土地に目をつけていると関口は語るが、状況は一向に進捗しない。また、デート代や関口が起こした事故の示談金などをルミ子が支払っていることもあり、ルミ子は彼に疑念を懐くようになっていく。土地の手付金の200万円を関口に託したルミ子は、職場の人間から土地が売りに出されるはずがないと聞く。更に関口が妻帯者であることを知る。

悔し泣くルミ子に、祖母はこの地に代々伝わる“呪い釘”を教える。丑の刻(午前二時)、白装束にローソクを頭に立てて神社の神木に、わら人形を呪う相手に見たてて五寸釘を打ち込む、それを十日間続けると、恨みを晴らす願いがかなうという。祖母は部屋の片隅から長年しまい込まれていた道具を取り出し、ルミ子に白装束を用意する。

ルミ子は恨を込めてわら人形に釘を打ち込む。その時、妻の弘江とベッドを共にしていた関口は、突然の痛みに苦しみはじめる。翌日、関口は原因不明のまま入院するが、すぐに退院する。効果がなかったと訴えるルミ子に祖母は泣きながら詫び、まだあと二日残っている、十日間続けるのだと告げる。

そして十日目の夜、トラック運転中に白装束を纏ったルミ子を目撃して驚いた関口は、ハンドル操作を誤り事故死する。

こうして願いが叶い、気持ちを切り替え東京へ旅立つ決意をしていたルミ子は、関口が目をつけていた土地の持ち主の西谷に呼び出される。そしてルミ子名義で土地の譲渡の手続きをしていたことと、関口は弘江と別れルミ子と結婚しようとしていた事を聞かされるのであった。

(同作Wikipediaページより)

次回は1990年代以降の代表的な作品をご紹介します。

つづく

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