【埼事記 2023/1/15】18歳成人 被選挙権・供託金制度見直しで政治参加促せ

■「世の中で一番素晴らしいものは若者のエネルギーだよ。こりゃあ進歩の原動力だ」

和光市はじめ埼玉県内にも拠点の多い本田技研工業を創業した本田宗一郎(1906〜1991)の言葉である。

経営難など様々な困難を乗り越えて同社も世界屈指の自動車メーカーとなった。その裏には本田を「オヤジさん」と呼んでやまなかった若いエンジニアの尽力も大きかった。それゆえに、本田はこうした若い力が進歩の源と気づいていたのだろう。

■先日1/9は成人年齢が18歳に引き下げられてから初となる成人の日であった。自治体によっては「成人式」としていた行事を「二十歳の集い」などと改めるところもあった。

少子高齢化社会において、毎年のことながら新成人が減少している旨も報道された。

成人年齢引き下げで、それまで20歳からだった選挙権も18歳からに改められた。18歳というと大半の者が高校3年生になるだろうが、進学・就職する前に社会参加の一歩として投票を行えるようになった。種々議論はあるが、投票を通じて若い世代の声を社会の根幹を成す政治に反映することができ、それはそれで好ましいといえる。

■にも関わらず、被選挙権は据え置きとなった。衆議院議員や地方議員・市町村長であれば満25歳以上、参議院議員や都道府県知事は満30歳以上でなければ立候補できないという年齢制限は変わっていない。

投票できる年齢が2歳下がったのに、これはどういうことなのか。

■選挙に必要な「3バン」といえば言わずと知れた地盤・看板・カバンだ。地盤は読んで字のごとく、看板は地域での知名度、カバンはカネだ。その中でも、とかく我が国の選挙にはカネが要る。無所属で立候補すれば選挙事務所の運営費や選挙カーのガソリン代や遊説費も自前になる。あげく供託金の負担も重くのしかかっており、落選すれば条件次第で全額没収になってしまう。

若手になるほど給料も上がらず、年金や奨学金の負担なども重い。今の若者はとにかくカネがないのだ。時間はあるだけに、地盤や知名度は地域を回っていくことで得ることができるかもしれない。SNSでの発信も低コストで有効だろう。しかし、カネだけはどうも首が回らない。周りからカンパをもらうにしても微々たるものだろう。

そうなると、選挙に出るというのはある程度カネがある大人だけのもの、ということになる。だから年齢制限も下がらなかったのだろう。

■昨年来のコロナ禍や物価高・円安はもちろんのこと、いわゆる団塊の世代と呼ばれる人々が75歳になって後期高齢者になるなど少子高齢化に歯止めがかかることはない。世代間格差の拡大やDX・メタバース時代の到来と、人口減少のグローバル時代において社会全体が転換期に入っていることは言うまでもない。変化が激しい時代だけに、今日の常識が明日の非常識になるのもおかしいことではない。

そのような中で、今まで通りのやり方を続けていていいのだろうか。ただでさえ多くの者が苦境にあえいでいるというのに、それで良いわけがないのは火を見るより明らかだ。

この供託金制度というのも立候補の乱発を防ぐため、まだ選挙権が一定額以上を納税した一定年齢以上の男性にのみ与えられていた戦前より行われているものである。戦後に普通選挙になったのは皆も知るところであるが、なぜそんな時代遅れな制度をいつまでも残しているのか。借金大国だからこそ予算財源にしたいという思惑もあるのかもしれないが、同制度をとる国自体が少数派であり、いつまでそのような足かせをするのか。

期日前投票など選挙制度も変わりつつあるのに、これだけはちっとも変わらず、疑問でしかない。

■議員が市民の代弁者である以上、議会というのは社会の縮図でないといけない。年齢構成もそうだし出身畑もできる限り実社会に合わせないと、市民に寄り添った政治などできるわけがない。社会の立派な成員である若者にとっても、被選挙権がない下の世代の分も含めてしっかり参加してその声を届けていくことは当然の権利だ。

今年2023年は統一地方選挙が行われる年で、埼玉県内でも県議会議員選挙はじめさいたま市など各市町村議会議員選挙が行われる。夏には県知事選挙も予定されている。

国レベルでは難しくとも、我々市民にとって一番身近な地域、すなわち市町村・都道府県レベルでも若者の政治参加を容認できないものか。「自分たちの椅子が奪われる」という危機感もあるのかもしれないが、そうした既得権益にすがっていては変化ある社会で皆生き残っていくことはできない。

ただ成人年齢を引き下げればいいというのではなく、皆が認め合い助け合っていく社会を築いていくためにも、真剣に議論・実践していくべきだ。

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