
■「コロナ」の三文字に右往左往させられた2020年も、残すところあと3ヶ月となった。
8月ごろは一日あたり新規陽性者数が100人に迫る勢いだった埼玉県内においても、9月に入ってからは一日30人前後に落ち着いている。ワクチン開発が急がれるが、地域に人出が戻りつつある中でこのような水準に至った。「With コロナ」の生活様式が徐々に浸透しつつあるのかもしれない。
■しかし巷では別の危機が高まっている。プロレスラーの木村花さんにはじまり三浦春馬さんや芦名星さんや藤木孝さんと著名人の自殺が相次ぐ。
先日9/27には旧浦和市(現:さいたま市)出身で女優の竹内結子さんまでもが、自ら命を絶ったと報じられた。今年に入って第二子を出産したばかりでついひと月前まで表舞台に立っていた、にも関わらずだ。
いずれも日々SNSでバッシングを受けストレスを感じる中で、コロナによる仕事の減少や周囲からの孤立で自殺を選んだ可能性がある。
■このコロナ禍において雇い止めや収入減に見舞われた人々も多い中で、自殺者急増の危険が高まっている。
日本においては自殺者数と失業率は高い相関関係を見せており、感染症で命を落とす者より自ら命を絶つ者の方が多くなりうる。
さいたま市議会においても佐伯議員より説明があったが、市の自殺電話相談窓口に寄せられる相談数も感染拡大に伴い増えているという。
加えて自殺の場合はウェルテル効果というものも起きうる。岡田有希子さんやhideさんの自殺にもあったように、マスメディアの自殺報道に影響されて自殺が増える事象を指す。「あの人もやったから自分も」と躊躇いもなく自殺を選ぶ者が増えかねない。
■自殺志願者は苦しみから逃れるために自殺を考える。借金や心の病や人間関係など様々な苦しみや問題があろう。
しかし、それは根本的な問題解決にはなり得ない。会社や組織の不正が暴かれるということもあるが、多くの場合は一個人の事情ということで片付けられてしまう。結局問題は残りまた他の人がストレスを感じてという負の連鎖は続く。
苦しみから逃れたいから自殺をするということは、その苦しみをどうにかしたいということと表裏一体だ。自殺ということ以外にも、自ら行動を起こしたり周りに助けを求めたり同じく苦しむ者と手を組みこの窮状を世間に訴えたりと、選択肢は多いはずである。
苦しんだ報いを受けるにしても命あっての物種のはずなのに全てを捨て去って自殺を選んでしまう、本当にそれで満足といえるだろうか。
■かく言う小生自身も母の自殺を経験している。
自殺以外の選択肢をもっと提示できればあのような悲しい選択をせずに済んだはずだった。なぜもっと母の気持ちに立って寄り添ってやれなかったのかと今でも強く後悔している。
遺書もなかっただけに、母がどのような思いで死を選び何を伝えようとしたのか、その答えは生涯を通じて知ることはできない。この悲しみの十字架を背負って小生は生きざるを得ない。
■コロナの前段階として情報化や個人化が過度に進んだ現代においては、隣人に対しても不信感を持つ者が多い。
自殺に走る人は多くの場合「孤独」だ。孤独故に自殺という選択肢しか己の視野には見えていない。
それゆえ自殺を止めるのは、結局のところ人でしかない。
すでに相談窓口もパンク状態にあるというが、どうか周りに死を考えている人がいたらそれ以外の選択肢を皆で示していけないだろうか。そこまでに至らずも少し話を聞いて頷くだけでも、死を考える人が心に抱えた不安は軽くなると思うのだ。
自殺を遂げる人、そして小生のような悲しい十字架を一生涯背負う人をもうこれ以上増やしたくはない。
一人の力では足りない、今こそ皆で行動を起こそう。