【埼事記 2021/6/2】東京五輪は開催すべき 逃げ勝ちは断じて許すな

■「いずれにしても、大事なのは、自分の責任は自分でとること。これができれば何をしてもいいんです。むちゃくちゃなことをしておいて、あとで困ったら人に泣きつく。これが一番みっともないことですね」

先月12日に白寿(99歳)を迎えた、小説家・尼僧の瀬戸内寂聴氏の言葉である。

誕生日も病院で迎えたというが、出家前後で様々な経験を重ね100歳を間近にしてもなお各方面でエネルギッシュに活躍している同氏ならではの言葉といえよう。

■方面は変わるが、熊谷ラグビー場を拠点の一つにするラグビートップリーグのパナソニックワイルドナイツがラグビー日本選手権で優勝を収めた。バスケットボールB2リーグの越谷アルファーズもB1昇格ならずも過去最高の3位に食い込むと、埼玉県内のプロスポーツチームが大いに活躍している。

プロ野球やJリーグもシーズン中だが、9月から始まる女子サッカーリーグのWEリーグには県内から3チームが参戦する。

コロナ禍で地域にいまいち活気がない中、全国屈指のスポーツどころである埼玉にスポーツが熱気をもたらしつつある。

■スポーツといって忘れてはならないのが、世界を代表するスポーツの祭典であるオリンピック・パラリンピックだ。

ワクチン接種も始まっている中、変異株のコロナウイルスの感染が報告されるなど依然としてコロナ禍の出口は見えない。5月末までの緊急事態宣言も今月中旬にまで延長されるなど、引き続き予断を許さない状況が続く。

同ウイルスの影響で1年延期となった同大会について、同大会スポンサーとなっているメディアにおいても中止を求める声が出てきている。世論調査においても中止を求める声が過半数を占めている。

時期の延期という前代未聞の事態に、これだけ感染者も出ていて聖火リレーでの出走者辞退続出など関連イベントにおいても波乱が起きている。

安心して開催できる状態ではないことは百も承知だ。だからこそ中止を求める声が出るのも致し方がないことだろう。

■批判・炎上も覚悟で言うが、たとえ無観客であっても同大会を開催すべきだ。

コロナで沈む地域に上記スポーツの熱気をもたらすのはもちろんだが、何より同大会の準備運営を司る大会組織委員会や日本国政府の責任を示すためだ。

コロナを抜きにして、我々市民は同大会に関して様々翻弄されてきた。

2013年に「OMOTENASHI」で東京開催は決まったはいいものの、2015年に大会のメインスタジアムとなる新国立競技場の建て替えについてコンペの末で当初採用していたザハ・ハディット氏デザイン案が建設費の高騰やデザイン面から一点白紙撤回になった。加えて同年にはコンペの末に採用された大会ロゴ案にも盗用疑惑や訴訟が持ち上がり、やはりゼロからやり直しとなった。

大会開催についてボランティア募集もなされたが、待遇や熱中症対策についても物議を醸した。

トライアスロン会場となるお台場海浜公園でもヘドロの存在も問題視され、夏場の猛暑を回避するため2019年にマラソン・競歩の会場が札幌に変更されたりと波乱も非常に多かった。

■極め付けは、今年2月にあった森喜朗前会長による問題発言だ。

「女性のいる会議は時間がかかる」などといった発言が問題視されたが、当初は頑なに会長職を辞さない決意を見せていたものの、男女平等が原則である同大会組織委としてあるまじき行為と各方面で批判が相次ぎ一転し辞任。後任に橋本聖子氏が就任したが、これだけでも国内外で同大会組織委への求心力が急激に低下した。況や大元にいる政府へもだ。

最終的な開催可否は同大会組織委や政府が決めることではあるが、「コロナだから仕方がない」と中止を認めさせていいのだろうか。はっきり言って開催決定から8年ほど翻弄されてきた市民にとっては、コロナを盾にこれまでの責任を有耶無耶にして逃げ勝ちしようとしているようにも見えてくる。

仮にも同大会は国家を巻き込んだ一大プロジェクトである。それを易々とした中止ほど無責任なことはない。

■「成功の鍵は、責任である。自らに責任を持たせることである。責任ある存在になるということは、真剣に仕事に取り組むということであり、成長の必要性を認識するということである」は、「マネジメント」の著者である経営学者のピーター・ドラッガー(1909〜2005)の言葉である。

このような社会情勢では本来想定されていたような開催が難しいことは理解している。無観客となるのもやむを得ない。

それでもコロナを抜きに市民や世界をこれだけ騒がせてきたからこそ、何らかの形で政府や同大会組織委は責任は取らなければならない。それを示すため、形を変えてでも開催というのは有用で最善の選択肢である。ここまで取り組んできた政府や同大会組織委の目的が大会の開催である以上、その目的を果たすのは当然の責任だ。

そうでなければ単なる失敗しか生まれない。これだけ翻弄されて挙句の果てに失敗ではあんまりだ。

■「責任を回避するいちばん良い方法は『責任は果たしている』と言うことである」と作家のリチャード・バック氏は主張している。

中止を求める声もわかるが、これまで我々が費やしてきた気苦労を虚無に終わらせてはならない。

楽観的・世間知らずと言われようと、責任の取り方という点でも五輪開催は避けて通れないはずだ。

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