【埼事記 2021/5/23】さいたま市長選投開票日 市民に託された地域の未来

■「人間の事業はひとり政府の任にあらず。学者は学者にて私に事を行なうべし、町人は町人にて私に事をなすべし、政府も日本の政府なり、人民も日本の人民なり、政府は恐るべからず近づくべし、疑うべからず親しむべし」

慶應義塾を創設し1万円札の肖像にもなっている福澤諭吉(1835〜1901)が、自著・学問のすゝめに記した一節である。

人間の所業はすべて政府が担うのではないが、政府が日本の政府なら人民も日本の人民となる。それゆえ政府を恐れず近づくべきだし、親しむべきで疑う必要などないと説いた。

国家のみならず、地方行政にも当てはまることであろう。

■本日5/23は、任期満了に伴うさいたま市長選挙の投開票日となっている。

コロナ禍で社会不安が増大する中、現職の清水勇人氏と新人の前島英夫氏が立候補し、舌戦を繰り広げて来た。

感染対策で選挙活動や投票所運営も苦境を強いられているが、いよいよ審判の日がやってきた。

■現職新人の一騎打ちの選挙となったが、さいたま市に限らずこと埼玉県内においては首長や地方議員選挙における投票率の低さが目を引く。

同市長選挙を見ると市誕生直後の2001年および清水氏が初勝利を収めた2009年選挙では40%だったが、2013年選挙では37.98%、前回2017年選挙では31.44%と30%台に低迷している。

埼玉県知事選挙も2007年から2015年選挙の3回はいずれも20%台だった。大野元裕知事が初勝利を収めた前回2019年選挙では33.83%に持ち直したが、お世辞にも高いとは言いづらい。

■SankeiBizの記事「投票率も低下、コロナ禍の首長選は『現職優勢』?有事は安定重視?」(2021/3/12配信)において、埼玉大学の松本正生教授が以下のように分析している。

「埼玉県には東京都内に通勤する『埼玉都民』が多い。このため、地元への関心が薄く、投票率も低くなりやすい土壌がある。コロナ禍で有権者が『選挙どころではない』状況に追い込まれた結果、投票率の低下が加速し、新人の苦戦につながったのではないか」

何かにつけて言われてきたことではあるが、とかく埼玉県民は地元愛や地域への関心が薄いと言われる。「埼玉都民」の存在など様々理由はあろうが、地域の実情をネットで調べても「ふーん」と感じる程度で、その解決のために何かしら行動を起こせない者が多いようにも見受けられる。

各人の問題意識の違いやネットという比較的ライトなメディアの性質もあるのかもしれないが、自分たちの地域のために動いている人々や団体を意識することが希薄だとプレイヤーたる小生も感じている。

■当サイトでも市長選に際して世論調査を実施したが、「高すぎる市民税を下げて欲しい」「医療体制の充実化」「子供達の居場所創出」など市長に臨む政策について様々な声が寄せられた。

民間対応できるところもあろうが、その下地作りや調整などに市長がトップの行政が果たす役割は大きい。それゆえ行政に声を上げる行為は当然と言える。そのためにも投票という行為は、市民の意思表示として有効で定番とも言える手段である。

しかしどれだけ上尾や川口など周辺自治体の住民が声をあげようと、同選挙で投票できるのは同市に住民票を有する有権者だけなのだ。

投票というとどうも政治行為として敬遠されがちではあるが、それは住民にとって与えられた権利の一つだ。その権利を行使せずして不満に終始するほど、愚かしいことはない。

■「正しき政治の行われる為には、正しき選挙の行われる事がその要件であります」

昭和初期に首相を務めた岡田啓介(1868〜1952)が1936年ごろの演説「愛国の熱誠に想ふ」で語った一節である。

正しき選挙というと不正のないことが大前提ではあるが、まず多くの有権者が票を投じないことには選挙が成立し得ない。少数の投票による選挙で決まる政治など、とても民主主義と言えたものではない。

■投票とは義務的な側面も持つ一方で、有権者たる市民に与えられた権利でもある。

同選挙に合わせて、当サイトも各種SNSで「#Sai出発0523」というハッシュタグをつけて投票啓発を行ってきた。

ウィズコロナ・アフターコロナに向けて、その一票は地域の再出発の燃料となる。

その一票で、未来を切り開こう。

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