いざ武州の嵐山町 その2 本家さながらの絶景ー嵐山渓谷

嵐山町の名前の由来になったのが、同町南側の槻川沿いにそびえる嵐山渓谷である。

本多静六により本家京都の嵐山になぞらえてそのように呼ばれたが、紅葉シーズンということもありその光景は本家さながらだ。

赤く染まりつつある渓谷を歩く

保全森林に登録

同渓谷は、同町南部を東西に流れる槻川沿い約2kmに渡って3kmに渡って続く。その地形の大部分は薄くはがれやすい結晶片岩でできていることから、同様の長瀞岩畳になぞらえ新長瀞と呼ばれることもある。

武蔵嵐山駅に近い東側のバーベキュー場(後述)側からの訪問客が多いが、裏口とされる西側の遠山地区から同渓谷に入る。

すぐ隣に大平山(標高178.9m)、目視30m下の渓谷下に同川が流れるが、その周りは豊かな森林となっている。今の時期は気温も下がってきていることもあり、木々の葉も赤く染まり紅葉が見頃を迎えつつある。

例年11月下旬〜12月上旬が見頃となるが、道ゆく人の顔も紅葉のおかげか朗らかだ。

同渓谷周辺一帯の樹林地は、緑のトラスト保全地3号地に指定されている。

指定された1997年度より、公益財団法人さいたま緑のトラスト協会やボランティアスタッフが周辺の環境美化を行なっている。手入れが届いた樹林地は整然としていて美しい。

展望台から一望

10分ほど1km近く歩いたか、広場に着いた。

ちょうど大平山から伸びた細原により、同川の流路が180度転じて半島状の独特な地形を作り出している。同広場はその付け根にあたる。

同広場にはトイレや展望台があるが、昭和初期に武蔵嵐山が大々的に紹介された際にはこの地に旅館・松月楼があったという。

展望台に登り周囲一帯が見渡せる。

多くの紅く染まりつつある木々と目下に見える川がまたいいコントラストを出している。水面近くに出るとまた違った光景が見えてくるのだろう。

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嵐山渓谷見所あれこれ

女流歌人が残した歌碑

同川が曲がってできた半島部へと入っていく。こちらも遊歩道の周りの木々が紅く染まりつつあり歩いていて楽しい。

その一角にこのような歌碑がある。

槻の川 赤柄の傘をさす松の 立ち竝びたる 山のしののめ

これは近代日本の代表的な女流詩人・与謝野晶子(1878〜1942)が読んだ短歌。晩年の1939年に、与謝野は末娘の藤子氏とと共に同渓谷や松月楼を訪ねている。観光開発で賑わった当時の同渓谷には、水族館や温泉もあったようだ。

同歌含め与謝野はその際に29首の短歌を詠み、歌誌・冬柏に発表している。同歌では同川沿いに立ち並ぶ松の木が一斉に紅葉している様を山の東雲に準えているようだ。それだけ同渓谷の紅葉は旧来より多くの人々の心を動かしてきたということだろう。

同歌碑自体は1998年に建立され、与謝野と共にいた藤子氏も除幕に立ち会ったという。

水面から見る渓谷

半島から戻り渓谷を東に進むと冠水橋という橋や飛び石が配置されており、いずれも水面に近い位置から川を横断できる。

実際に飛び石の位置から同渓谷を撮ってみる。

紅く染まりつつある渓谷が澄み切った水面に反射し、言葉にならないほど美しい光景を演出する。辺りには水の流れや野鳥の声がこだましており、自然の中で心が洗われる。

紅葉はもちろん、春の桜もまた美しいことに違いない。

なるほど、本多静六がこの渓谷を京都の嵐山になぞらえた意味もわかってくるというものだ。

広い河原でバーベキュー

飛び石を渡った先には広々とした河原が広がる。

岩もなく起伏が少ない河原ではテントを張ったりバーベキューに興じる者達の姿も少なからず見られる。

元々は養蚕道具や麦からを干していたという河原一帯は嵐山渓谷バーベキュー場となっている。

売店やトイレも完備で、食材に機材と必要なものは全て揃うため気軽にバーベキューが楽しめることが特徴。

都心からの近さも相まって、るるぶ.comが開催する「全国バーベキュー場&キャンプ場」関東エリア人気スポットで5年連続で1位を獲得するほどの人気ぶり。多い日には1日約3,000人の利用客で賑わうという。

この他同バーベキュー場に隣接して千年の苑ラベンダー園があり、毎年6〜7月にかけて5万株のラベンダーが一面に咲く。

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