引き続き秩父郡小鹿野町の見どころを紹介していく。
今度は尾ノ内渓谷とは反対側の場所へと進んだ。
急斜面の階段に注意
地域の皆様のおもてなしに感謝をしつつ同渓谷をあとにし、市街地北西の山奥へと車を進める。
やってきたのは鷲窟山(しゅうくつさん)観音院。曹洞宗に属する寺院で、秩父周辺の寺院から成る秩父三十四箇所の31番目だ。
入口たる仁王門の手前に駐車スペースがあるので、そこに車を停める。
日本一の石造仁王像
そしてこちらが仁王門なのだが、ここには日本一と称されるものがある。
それが門の左右にそびえ立つ石造の仁王像。
1868年(明治元年)に長野県出身の藤森吉弥らが奉納したもので、高さは1丈3尺(約3.939m)で台座を入れると4m近くなり、石造の仁王像としては高さが日本一を誇る。
いずれも近隣で採れた凝灰質砂岩を使用している。同地域が誇る豊富な地質資源は古来より人々に恩恵を与えているようだ。
お経と同数の階段
仁王門をくぐると本堂へと続く階段がある。
この階段は全部で296段あり、お経と同じ数である。そのためお経を唱えながら上がるといいとされている。
実際に上ってみると、急斜面にできていることもあり上るのに体力を使う。せめてもの癒しは、階段の側に建てられている様々な歌碑か。
このように本堂までの道が険しいため、同院は礼所一の難関とも呼ばれているという。
なお階段の途中には落石で仮設の階段が架けられている箇所がある。足元が悪い箇所もところどころあるので、実際に上る際には十分注意をされたい。
崖下にある礼所
同院の由来
10分ほど階段を上り、鐘も隣接した本堂へと到達した。
同院の霊験記によると、創建は平安末期〜鎌倉初期ごろ。
深谷市川本出身の武将・畠山重忠(1164〜1205)がこの地に狩猟に来た際、鷲の巣を見つけて家臣・本田親常(?〜1205)に矢を射させた。
しかし親常が放った矢は奇妙なことに何度もはね返された。不思議に思いその巣を見ると中に聖観音があった。郷民によるとこれは奈良の大仏建立に携わった行基(668〜749)が作った観音像なのだという。そこから畠山は親常に命じて本堂を興したのが由来なのだそうだ。
なお本堂は幕末に建て替えられて明治半ばに消失したが、1972年に再建された。
一晩で掘られた?磨崖仏
本堂の裏には30mほどの岩崖がある。それだけの高さから聖浄の滝が落ちていて行者が滝行を行なったという。
そしてその滝のすぐ左を見ると、崖の中に石仏が複数収められている。
これは鷲窟磨崖仏といい埼玉県内では唯一の磨崖仏。県指定史跡である同石仏は、室町時代に弘法大師こと空海が一晩にして作り上げたという。
同院の東西にはそれぞれ東奥の院と西奥の院(立ち入り禁止)があるが、その周りにも石仏が多数安置されている。
崖に面していることもあり多数の磨崖仏があるのも同院の特徴といえよう。
矢抜け穴に芭蕉の句碑
時間の都合で東奥の院までは行けなかったが、その途中の見晴らし台まで上った。
見晴らし台の近くには矢抜け穴と書かれた標識がある。
これは約1km離れた反対側の崖にある岩穴で、親常がこの地で矢を放った際に矢が貫通したことからその名がついたということだ。
そしてその近くには松尾芭蕉の句碑が建てられている。
清く聞かん耳に香焼いて郭公
1683年芭蕉40歳の時に詠んだ句で、ホトトギスの鳴き声を聞く際は耳に香を焚いて聞こうというものだ。