【埼事記 2023/1/8】飯能殺人事件 助け求めてこそ人間だ

■「『助けて』と言える人、言える相手がいる人は、それだけで十分強いのである」

精神科医の川村則行氏の言葉である。

大の大人が「助けてくれ」と言うのも自分の弱みを見せるようで恥ずかしく思うこともあるかもしれない。それでも時に助けを求めないとうまくいかないこともあろう。そのココロとは。

■そう言ってくれればまだ救いがあったかもしれない悲劇が、昨年末に起きてしまった。

昨年のクリスマス当日12/25の早朝、飯能市美杉台ニュータウンで米国籍の男性とその妻及び娘の3名が殺害される事件が起きた。同事件を受けて現場周辺では規制線も張られ、物々しい年の瀬となってしまった。

犯人として現場近所に住む40代の無職男性が逮捕されたが、同犯人は昨年より被害者宅の自家用車に投石をして傷をつけた容疑で警察に逮捕されている。自家用車だけでなく被害者宅への門扉に傷をつけていたとも報じられている。

同犯人のパーソナリティについては、近所づきあいがあまりなかったとも報じられている。携帯電話やパソコンも所持していなかったようで地域から孤立していた様子がうかがえる。動機については詳しく述べておらず、今後の解明が待たれるところだ。

■ニュータウンという土地柄、長期間住んでいる住民も少なく近所付き合いが希薄という背景もあったのかもしれない。

同地に限らず、我が国においては1950〜80年代の高度経済成長期にかけて多数のニュータウンが造成された。春日部市の武里団地など県内においてもそうしたニュータウンは珍しくないが、その土地の外から流入してきた住民も多くお互いの交流は必ずしもうまくはいっていないようだ。こと1970年代以前に造成されたニュータウンにおいては、住民の高齢化やインフラの老朽化も深刻で、同犯人のように孤立する者も少なからず出てこよう。

近年ではそうしたニュータウンに惹かれて定住する若年層もいるようだが、そうした者たちが事件に巻き込まれたりしたら大きな損失になってしまう。

■小欄でも口を酸っぱく述べているが、人間は一人では生きていきないのだ。人間は万能ではない以上、一人でできることには自ずと限界がある、これはどんな生物でも同じだ。

しかし、人間というのは他の生物とは異なり過去から学び未来を予測する知恵がある。一人では見えてこなくても、集団で知恵を出し合うことで困難でも新たな突破口が見えてくる。これこそが弊紙の理念にも掲げる共助の基本となる。

■そうなった時に家族というピアグループのみならず、近所という枠は有効だ。小生も年の瀬は修士論文の作成・提出に明け暮れたが、そのテーマが地域での起業への地域住民の出資にかかるものであった。詳細は触れないが、出資した地域住民も、出資による利益よりかはその起業家の応援や地域のために何かできればという想いを託して出資しているパターンが多く見られた。

どうしても社会に出ると金銭が絡んで「儲かる・儲からない」という価値判断で人付き合いをすることも増えるかもしれない。しかし、近所付き合いというのは不思議なもので、そうした損得ではなくお互いに気持ち良くなるというためにやるものなのかもしれない。

同犯人の意思で近所から遠ざかっていたのかもしれないが、凶行に及ぶ前に「助けて」の一言が言えれば誰かしら気づいていたのかもしれない。そうすればこうした悲劇は防げたのかもしれないー推論ではあるがそう思うとやりきれない。

■「いざとなれば損得を度外視できる、その性根。世の中にそれを持つ人間ほど怖い相手はない」

戦国時代の武将・真田幸村の言葉だ。

損得も大事ではあるが、人間と人間が関わるというのは究極には損得を度外視したものに行き着くのだろう。小学生時代の友達付き合いなど、その典型だ。

それは金銭には変えられぬ価値があり、無限の可能性を有する。いわゆるソーシャルキャピタル(社会関係資本)にもつながってくる。

凄惨な事件となり被害者の冥福を祈らずにはいられないが、「助けて」を言えるか言えないか、助け合って生きていく人間としての本質を我々に試させる出来事であったと感じる。

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