
本庄市の中心市街地の楽しみは、レトロな建物だけにとどまらない。
旧中山道から少し入ると由緒ある寺社が数多く残されている。そのような寺社を巡る本庄七福神も大きな楽しみの一つだ。
本庄七福神とは?
本庄七福神は中山道周辺にある10寺社を巡る約4kmのコース。
対象寺社と祀る福神は以下の通り。
寺社名 | 祀る福神 | 住所 |
金鑚神社 | 恵比寿尊 | 埼玉県本庄市千代田3-2-3 |
普寛霊場 | 大黒尊天 | 埼玉県本庄市中央3-4-41 |
城立寺 | 大黒尊天 | 埼玉県本庄市銀座3-4-7 |
泉林寺 | 寿老人 | 埼玉県本庄市銀座1-5-3 |
佛母寺 | 銭洗い弁財天 | 埼玉県本庄市千代田3-3-10 |
安養院 | 毘沙門天 | 埼玉県本庄市中央3-3-6 |
慈恩寺 | 銭洗い弁財天 | 埼玉県本庄市中央1-2-22 |
開善寺 | 布袋尊 | 埼玉県本庄市中央2-8-26 |
円心寺 | 福禄寿 | 埼玉県本庄市本庄3-3-2 |
大正院 | 銭洗い弁財天 | 埼玉県本庄市本庄2-4-8 |
七福神という名前でありながら10もの寺社が名を連ねている。
これは弁財天が3か所、大黒尊天が2か所あるためだ。いずれも金運や商売繁盛など庶民にとってご利益の多い福神だけに、多く祀っているということなのかもしれない。
初回で紹介したテラスバ本庄や同市役所において、マップとスタンプ台紙が一体になったパンフレットを常時配布している。
年間を通じて回ることができるのもうれしい。
地域最大の木造建築ー安養院
時間とコースの都合上全てではなかったが、同七福神の寺社を実際に巡った。
まず訪れたのが毘沙門天を祀る安養院。正確には曹洞宗若泉山安養院無量寺という。
1475年に児玉党の本庄信明によって創建された同院。水不足に悩まされていた中で同院創建によりそれも解消され、若泉の荘として周辺の人々に崇められたそうだ。
江戸時代には徳川家光より25石の朱印地を拝領された。
総門、山門、本堂という3つの伽藍からなる同院。
特に本堂は同市内の木造建築としては最大級で、本尊の無量寿如来などが収められている。
3つの伽藍はいずれも市の文化財に指定されている。
普寛上人の眠る場ー普寛霊場
続けて大黒尊天を祀る普寛霊場を訪ねた。
御嶽教の開祖である普寛上人が葬られた同所。
1731年に秩父市大滝で生まれた上人は本名を浅見好八といい剣術に優れていた。34歳の頃に人心救済を目指して修験の道に入り本明院普寛と名乗ると、幾多もの修行を経て神仏両立の奥義を身につけた。木曽御嶽など開いた登山道も数多い。
1801年に本庄の信者宅で亡くなると、安養院の計らいにより同院境内に埋葬。対象時代にこの場所へと移された。
月命日となる毎年4/10と10/10には大祭が行われ、火渡りや刃渡りなどの修験が見られる。
ちなみに同所の水鉢は亀が背負っているようになっている。古くから災避けとしてご利益のある亀をあしらっていて、頭・4足・尻尾を順に撫でれば災難除けと金運にご利益があるとされている。
豪華絢爛の社殿造りー金鑚神社
さらに恵比寿尊を祀る金鑚神社へ。金鑚神社というと同市隣の神川町のものが有名だが、地理的に近い同市にも多数存在しているようだ。
欽明天皇年間の541年創建とされる同社。ちょうどこの地にヤマトタケルが駐軍したとも言われている。
児玉党の氏神や本庄城主の信仰を長らく集めてきた。本庄氏に代わり江戸時代にこの地を治めた小笠原氏も同社を厚く信仰し、他城に配置換えになってもなお社殿の改築に積極的に携わっていたいう逸話もある。
権現造り社殿には極彩色漆塗りが施され、妻沼聖天宮や三峯神社に劣らず豪華絢爛。
幣殿には本庄宿の武正南廬や小倉紅於などの郷土画家によって奉納された見事な天井絵が掲げられる。
ご神木である樹齢350年のクスノキも江戸時代初期に小笠原政信によって植えられたもので、今では東西30mにもなる巨木となって県の指定文化財にもなっている。