【愛と哀しみの埼玉の歴史】原点は「消費者第一」ー小川町発祥・しまむら70周年<2>

コンビニエンスストアが本格発展する前の70年代より、しまむら(さいたま市大宮区北袋町、鈴木誠代表取締役)はチェーンストア化を志向していた。地方発の衣料品チェーンとして他店への競争優位を確保できるよう、独自のオペレーション体制を構築した。

同社の発展を支えたオペレーション体制に迫る。

低価格の徹底推進へーしまむら流オペレーション

「4つの悪」追放

東松山ショッピングセンターの開設や情報・物流システムの整備で順調にチェーンストア化へ歩んでいた同社だったが、70年代後半からイトーヨーカドーやダイエーのような大都市発の総合品揃えスーパー(GMS)が近隣に出店。そうした競合は巨大で圧倒的なバイイングパワーで低価格化を実践し、同店から顧客を奪いつつあった。減収に見舞われ、一時は資金繰りに苦労したこともあったという。

そうしたGMSなど競合への対抗として、総合衣料品店たる同社としては「4つの悪」ー買い取った商品の返品・伝票書き換え・仕入先への値引要求・仕入商品未引き取りの追放を志向。仕入先とフェアな関係を築くことで競合の追随を許さない低価格でバラエティに富む商品仕入を行い、競合との差別化を図っていくこととなった。

買取仕入で公正取引

創業時より現金販売を主体としていた同社だが、仕入についても買取仕入を採っている。

百貨店など他店では委託仕入として販売量に応じて仕入先から手数料をもらい売れ残った分については返品する形式を採っているところが多い。その場合は価格の決定権が仕入先に委ねられることもあるが、同社としては買取を行うことで価格も自社でつけられるようにした。返品を行うこともなく確実に代金が支払われるため、仕入先としても安心して取引を行うことができる。スケールメリットを生かして買取仕入をセントラルバイイングとして行うことで、低価格化を実現した。

また、委託仕入の場合は仕入先メーカーの販売員などが店頭に立ち、商品説明などを行うことが多い。それだけ仕入先の力が強いことになるが、買取仕入を行う同社には商品知識も溜まるため、商品開発のノウハウもついてくることになる。このため2002年よりプライベートブランドの開発にも着手し、「CLOSSHI」といったブランドはじめ「しまデニ」のような独自商品も生まれている。

他に仕入先との共同開発ブランドや雑誌やYoutuberなどとコラボした商品展開も持ち味で、同社系列でしか買えない商品として差別化につなげている。

仕組化と人財開発を両立

チェーンストア経営の原則として3Sー標準化(Standardization)・単純化(Simplification)・専門化(Specialization)が知られているが、同社はここに仕組化(Systematization)を加味し4Sとした。仕組化とは、合理的な発想により組織を組み立てることを意味する。

店舗でのオペレーションも10巻に及ぶマニュアルを作成するなどして標準化・仕組化を志向。ただ、現場経験やOff-JTで社員を一つの型にはめるのではなく、「企業の発展には社員一人ひとりの成長が不可欠」として社員にとっていい会社を目指しているのも同社の特徴だ。

その一つに、1986年から実施されているM社員制度がある。能力があるもののフルタイムで働きにくい主婦層を想定して、高い処遇と家庭生活を両立できる時間シフト制を取り入れた勤労体系で、同社系列の8割以上がM社員となっている。1店舗あたり店長1名に対して、M社員は6~10名程度在籍している。

人事考課制度も公平性を担保し、現在の店長の約7割は有能なM社員からの登用となっている。2代目社長の藤原秀次郎氏や現在の鈴木誠氏と、初代の島村恒俊氏以降の歴代社長についても、同氏一族の同族経営ではなく同社内部で活躍した人財を積極的に登用している。

仕事の基本となるマニュアルについても社員からの改善提案制度を設けて、年間1万件程度の提案が寄せられるなど、仕組化をしながらも社員が主体となった企業経営になっている点も特筆される。

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店舗も自前開発

緻密な計算で出店

(しまむらグループHPより)

同社のチェーンストア化を振り返る上で、店舗開発も大きな役割を果たしている。

1972年には4号店となる寄居店開店以降は埼玉県北や群馬県を中心に出店していくが、出店にあたっては「小学校が商圏2km圏内に3校あること」が基準の一つだった。小学校1校あたりにおおよそ1,600世帯が通うとすると、3校あることで約5,000世帯が対象顧客となる。出店前にはセスナ機で上空を視察し、現状の土地利用や今後の都市開発計画などを踏まえて出店の是非を決めている。

いざ出店する際も、不動産業者ではなく同社自ら地主との交渉にあたる。不動産のプロではない同社が交渉に来ることで地主にも信用が生じるという。基本的に店舗建物は地主に建ててもらい、1/3を同社で負担、その他は銀行からの借入で賄っている。

こうして郊外のロードサイドを中心に出店を加速させ、1984年の大泉店(群馬県大泉町)開店で50店舗を達成すると、4年後の1988年には高根沢店(栃木県高根沢町)開店で早くも100店舗に達した。バブル崩壊後の90年代にも東北・近畿・山陽・九州と日本各地へ出店をしていき、2002年の名護店(沖縄県名護市)開店をもって全都道府県への出店を果たした。

現在ではファッションセンターしまむら単体で約1,400店、同社系列でも約2,200店が営業中だが、毎年一定数が開店しながら閉店する店舗が少ないのも同社の特徴。これも同社の緻密な計算や今後の都市開発を睨んだ出店戦略が功を奏していると言える。

新店舗開店日にも秘密あり

同社の店舗は当初は350坪が基本だったが、500㎡超の小売店の出店や営業時間などを規制する大規模小売店舗法(2000年廃止)の絡みで150坪が標準とされた。現在では同法廃止に伴い300坪にまで拡張されているが、規制緩和も目論んで150坪を店舗用としながら追加で店舗に充てられるよう100坪を倉庫用に確保していたという。

ディスカウント店などでは店舗面積の拡大も見られるが、同社では闇雲に店舗面積を拡大しない。たとえ店舗面積を2倍にしても売上が2倍にはならず、坪あたり売上高はむしろ下がる。そのため、店舗面積は300坪を標準に固定されている。

店内外のレイアウト設計や陳列什器、売場の陳列・演出管理も各担当部署が実施し、全店舗で標準化と単純化を推進。どの店舗の床にも御影石が使われている。

同社の新規開店店舗の開店日は原則として木曜日。これはチラシの浸透や口コミ拡散による直後の週末の来店を見越している。

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多業態展開で専門化追求

ファッションセンターしまむらを主としつつも、90年代中盤から同社では多業態展開に乗り出し幅広い顧客層に訴求を始めた。

1996年にはヤングカジュアルを取扱う子会社アベイルを設立(2009年吸収合併)し、翌年には本庄市と群馬県館林市に1・2号店を開店。2000年にはベビー・子ども用品を扱うバースデイと婦人ファッション雑貨を扱うシャンブル、2002年には靴専門店のディバロを相次いで展開。アベイルとバースデイについても全都道府県への出店を果たしている。

ファッションセンターしまむらでも各世代に対応した商品類を揃えているが、こうした多業態展開で同店ではカバーできない特定の世代・世帯のニーズに合った商品を提供。バースデイであれば子どもが遊べるおもちゃを、アベイルであればヤング世代向けの商品を店内全体で提供している。同社社員も配置転換でこうした多業態に勤務することがあるが、専門性の高い店舗に勤めることで商品知識や対象顧客に合った接客手法を体得できる。それゆえ、人財開発という点でも多業態展開の効果は無視できない。

バブル崩壊後の低成長時代でも積極的に出店や多業態展開を行った同社は、1988年に東京証券取引所二部上場から91年に東証一部指定。昨年からは東証再編に伴い東証プライムに指定されている。

つづく

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