【埼事記 2023/4/16】首相への発煙筒襲撃事件 歴史は繰り返すのか

■「私は民主主義と暗殺はつきもので、共産主義と粛清はつきものだと思っております。共産主義の粛清のほうが数が多いだけ、始末が悪い。たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける」

「金閣寺」などの著作で知られ、自衛隊市ヶ谷駐屯地で衝撃的な死を遂げた、作家の三島由紀夫(1925〜1970)の言葉だ。

なるほど暗殺というのは不真面目な政治家を真面目にするために必要だというのか。政治家を真面目にというのは尤もではあるが、命をもってして真面目にさせるというのは違うような気がする。暗殺され命を失ってしまったら、その政治家は二度と政治の世界に戻って来られないのだから。

■今日くらいは書きたかったネタで小欄を書きたかったが、そうは問屋が卸さなかった。

昨日昼ごろ、4/23(日)投開票の衆議院議員和歌山県第1区補欠選挙に際して同県和歌山市内の漁港に応援遊説に来ていた岸田文雄首相に向けて、発煙筒が投げ込まれる事件があった。実行犯は即座に取り押さえられたが、爆発音と共に白煙が舞い上がり現場は騒然となった。

渦中の岸田首相は無事で、同県警本部へ移動した後に同県と千葉県浦安市で遊説を続行。遊説中に同事件について触れる一幕もあったという。実行犯は兵庫県在住の24歳男性というが、詳しい動機については「弁護士が来てから話す」と黙秘。特定の団体などに属しない個人での犯行(ローン・オフェンダー)とみられている。

昨年7月には奈良県奈良市で参議院議員選挙の応援遊説に来ていた安倍晋三元首相が銃殺されたばかりだ。来月にG7広島サミットを控える中、相次ぐ首相や経験者への襲撃を受け警察当局は要人警備のあり方について再検討に迫られている。

■日本においてもこうした首相や経験者への襲撃は、民主主義の萌芽以来起きている。

初代首相の伊東博文も韓国で暗殺されたが、国内においては約100年前の1921年11月に当時の首相である原敬が暗殺されて以来少なからず発生している。

100年前というと以前も小欄で話したが、大正時代末期でスペイン風邪が流行していた時期だ。今では新型コロナウイルスという流行病が蔓延している。米国が発展を始めたのもこの頃だが、100年経った今では中国が発展し世界2位の経済大国として米国と肩を並べるまでに至った。1922年にはソビエト連邦(ソ連)が成立したが、この100年後には同国の系譜を受け継いだロシアが第二の建国と言わんばかりにウクライナへ軍事介入し、いわゆるウクライナ侵攻が現在進行系で進んでいる。

そして、100年経ってこうした首相や経験者への襲撃も相次いでいる。

とても偶然とは思えない、歴史は繰り返すというのは本当なのか。

■そこから少し先の話にはなるが、1929年の米国における株価大暴落を発端とする世界恐慌の中で日本においては、社会不安がより高まった。経済への不信が高まる中で軍部が力を増幅させ、中国大陸など周辺国へ侵攻。結果的に太平洋戦争に至っている。国内においても思想統制などがなされ、少なからぬ国民が不自由な生活を強いられていた。

その後は敗戦や高度経済成長やバブル崩壊などを経て「失われた30年」となったが、コロナなどもあり依然として不景気が続いている。国際情勢についても終わりの見えぬウクライナ侵攻に先日も北海道付近へ落下した北朝鮮のミサイル発射と予断を許さない状況が続く。

こうした中で政府としても、防衛費と関連予算の総額を2027年度にはGDP比を現行の1%から2%に上げる方針だ。防衛強化に不足する財源を増税で賄うというが、この方針を推進しているのが皮肉にも他ならぬ岸田首相だ。シビリアンコントロールの維持が大前提ではあるが、1世紀前と同じ道を進みかねないか心配である。

■「暗殺は決して世界の歴史を変えることはなかった」

ユダヤ人出身で英国の首相を務めたベンジャミン・ディズレーリ(1804〜1881)の言葉だ。

暴力をもって社会を正そうというのは間違っているし、冷静な議論のもとで最善の社会を作っていくべきである。社会全体を閉塞感が覆う中で過去の歴史を繰り返させてはいけない。

今回の事件に小生も不安になりすぎなところもあるが、こうした不安がただの杞憂に終わってくれることを祈るばかりだ。その中身を書くだけでも誰かが共感してくれるかもしれないし、そうはさせたくないと思ってくれるかもしれない。そうした人が社会に一人でもいることが安心につながると感じる。

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