【埼事記 2023/2/6】相次ぐ迷惑動画投稿 承認欲求ゆえなのか

■「あの『ブログ』というのが、現代ふう自己顕示の典型だね。お互いいっせいに『私は』『俺は』と誰だか知れない誰かに向かって主張している。誰でもいいからとにかく他人に認めてほしい。他人に認められなければ、自分を自分と認められないんだ」

池田晶子氏が著した「14歳からの哲学」の一節だ。

マズローが提唱した欲求五段階説にあるように、我々の欲求の一つに承認欲求がある。すなわち誰かに認められたいという欲求だ。それは他者からの賛辞であったり金銭であったりと、様々な形で我々が行った行為への見返りを求めるものである。しかし、同説によると最上位に来るのは自分が成し遂げたいと思うことを行う自己実現欲求であり、承認欲求はその一つ下につける。

■ここのところSNSに投稿された迷惑動画の投稿が世間を大きく騒がせている。

先月中旬には、名古屋市でホームレスの女性に対して食料を買い与える素ぶりを見せながら会計前に逃げる動画が投稿された。近頃では回転寿司店での迷惑動画の投稿が相次ぐ。レーンを移動する寿司に勝手にわさびを入れ込んだり、他者が注文した料理を勝手に取ったりとこの手の動画が日々大量にアップされ、問題となっている。

一昔前は店員がそのような動画を投稿して「バイトテロ」と集中砲火を浴びたが、ここのところは店舗などの利用者側がそうした動画を投稿するケースが増えている。

■インターネットの発展は離れた人や企業同士が手軽に繋がるようにして、我々の生活に大きな利益をもたらした。小紙が細々とやって来られているのも、その恩恵があってこそだ。

昔は軍事利用で利用者が限られていたインターネットに、多くの利用者が参入した。参入障壁もなくデバイスとネットワークがあればすぐに参入できる。しかしそのことで、インターネット上での誹謗中傷もそうだし不当な個人情報の侵害など、日々新たな問題が生じている。

5類移行も決まったがコロナ禍だけに依然として対面での接触には抵抗があるだけに、インターネットは他者とつながるためにも社会の必要インフラと言える。しかしそのような問題が起きているのであれば、もはや人々に害悪しかもたらさず共通利益をもたらすインフラにはなり得ない。

■こういう迷惑動画を投稿する背景には、上記したように承認欲求というのがあるのかもしれない。

誰かに認められたい、その一心で少しばかり人より目立つことをしようとする。それを知らしめていくためにも、無料で手軽に使えるインターネットやSNSはこの上ないツールだ。そこに目をつけるのだ。

撮影自体がナンセンスだが、迷惑動画を撮ったとしてもそこで投稿を思い留まればまだ救いはあるのかもしれない。それでもこうした動画の投稿は後をたたない。様々事情はあろうが、「他の人が投稿しているから自分も投稿しよう」と思っているためなのかもしれない。多くの者が投稿すればそれだけ注目も分散するし、炎上したとしても大した騒ぎにならないーいわば「赤信号みんなで渡れば怖くない」の精神があるように思える。

■こうした背景があるから、特にSNSではデマや嘘情報も出回る。本人たちはそれでいいのかもしれないが、こと正しい情報を扱う小紙としては大いに困る。正しい情報を配信するのにデマや嘘情報、そうしてこのような迷惑動画ばかりがもてはやされてしまえば、小紙の存在意義がなくなる。いわば「悪銭良貨を駆逐する」ことが起きかねない。

イーロン・マスク氏によるTwitter買収で仕様も大きく変更され、投稿の表示回数も表示されるようになるなど、そうしたデマや嘘情報を流す層に有利になりつつある。だからこそ、小紙としてはTwitterから撤退を決意したということもあった。

地域の情報源として地域におけるヒトモノカネ情報の交流を促進させ地域福祉の向上に資することが、小紙の存在意義である。小紙に限らず、メディアというのはそれが本分ではないのだろうか。そうした存在意義を貫き通していくためにも、小生としてもこの事態は非常にゆゆしきものと思わざるを得ないのだ。

■「意味のない自己顕示欲や、思い上がりは捨てた方がいい。結局のところ、最終的に成功するのは、謙虚に学べる人なのだ」

楽天を創業した三木谷浩史氏の言葉だ。

自己顕示欲と書いたが、一時の、それも他者を傷つけて得られる自己承認などたかが知れている。真に成り上がりたいとするなら謙虚に学び自己実現に努めていくしかないのだろう。

小紙としても地域の確固たる情報源として、インターネット上での情報リテラシーの維持向上に向けてこれからも目を光らせていく所存だ。

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