■特急踊り子や湘南ライナーなどで使われ先日定期運用を終えた国鉄型特急車両185系は、皇族が利用するお召し列車として使用されたこともある。
皇族やその侍者らが乗った特別車両を挟み出発する編成を、三権の長が見送るのが習わしだった。
ここでいう三権の長とは内閣総理大臣に衆・参議院議長に最高裁判所長官、すなわち行政・立法・司法の各トップのことである。
■誰もが社会公民の授業で習ったことではあろうが、この社会ではフランスの法学者・モンテスキューが提唱した三権分立という考えを取っている。
権力を行政・立法・司法の3つに分けそれぞれが独立して存在することで、権力の集中や暴走を防ごうというわけである。そこに民という第四勢力がおり、社会の均衡が保たれている。
とかくメディアでは行政の長である内閣総理大臣の動向ばかり伝えられてはいる。それでも本来は民を含む4者には優劣がなく、それぞれ独立しているというのがセオリーである。
■しかし、中央政府で相次ぐ接待問題や先に小欄で評した民主主義の危機に並び、この三権分立が崩れかねない事態が起きている。
先月2/24、三重県津市で同市相生町自治会長らが詐欺の疑いで逮捕された。虚偽の領収書を市に提出し自治会の掲示板設置に関する補助金をだまし取った容疑での逮捕だった。
しかし同会長は、以前より私宅の犬の散歩や周辺の掃除などの雑用を市職員に強制していたという。自治会長という立場を悪用して「市民のために働け」と言って、民が行政を私物化したのだ。
■埼玉でも嘆かわしい事案があった。
春日部市議会において、議会で討論する際の原稿を同市職員が作成していたことが発覚したのだ。
本来各議員が作成するはずの討論原稿を市職員が作成していたのだが、両者とも「長年の慣行だった」「感覚が麻痺していた」として特に何も気に留めていなかった。
それが行政と立法の癒着という、三権分立の精神に反する状況であったにも関わらずだ。
同市職員らの労働組合の指摘によりこのような慣行はやめたというが、他の自治体でも同様の状況になっている可能性がある。
■少し前の安倍内閣時代には、黒川弘務元東京検察庁検事長の定年延長問題も起きていた。同氏の検事総長への登用を睨んで閣議で決まったものとされている。ここも行政と司法の癒着だった。
コロナ禍で「密を避けよ」と行政はじめ三者は声高に言う。それでも、ここまで権力の癒着という「密」が明らかになっているのもまた事実である。
社会的な実害は出ていないのかもしれないが、このような権力の癒着が許されてしまえば社会のパワーバランスが崩れてしまいかねない。
特定の勢力に有利な行政・司法・立法となったらどうなるか。自由な発言や民主的な社会などとても許されなくなってくることだろう。コロナに勝るとも劣らない「病」が社会に蔓延するに違いない。
■社会で生きていると、立法や司法それに国民主権という概念を思い起こすことが少なくなりがちだ。
しかし三権分立に国民主権が合わさって、社会の均衡が保たれているということを忘れてはならない。その均衡を保つために、各者の独立及び相互の監視は絶対に必要だ。決して責め合うというわけではないが、そうしないと互いの悪いところに気付けないのだ。
コロナ感染防止のために密を避け距離を保つソーシャルディスタンスが叫ばれている。もちろん物理的な距離を保つのは重要だが、ソーシャルはSocial、英語で「社会的な」という意味になる。社会にとっても有用なはずだ。
我々の間だけでなく権力の間でもソーシャルディスタンスを保ち、病魔をやっつけよう。