【埼事記 2021/2/14】激動の時代こそ 渋沢栄一の教え噛み締めよ

■それまでの価値観が大きく変わる激動の時代に生まれた彼は、生涯に500近い企業を立ち上げ近代日本経済の礎を築いた。幼少期より論語を嗜み、その行動原理は同書から大きく影響を受けていた。

経済のみならず大学設立や福祉事業などにも従事し、明治期から戦前までの日本社会を形成したともいえる。

昨日2/13は、彼こと渋沢栄一の181回目の誕生日であった。

幕末の天保年間に現在の深谷市血洗島で生を受けた渋沢は、若くして商魂を開花させフランスへ渡航し近代社会を学んだ。大政奉還後明治維新下の日本へ戻った後は、その知見を生かして第一国立銀行や日本煉瓦製造などの設立に携わる。その努力の甲斐あって、「SAMURAI」の国は欧米と肩を並べるほどの近代化を遂げ、列強の仲間入りも果たした。

■そして本日より、渋沢の生涯を描くNHK大河ドラマ「青天を衝け」の放送が始まる。

新型コロナウイルスの感染拡大でスケジュール変更の憂き目に遭ったが、郷土の偉人が大河ドラマの題材になるということで、深谷市をはじめ渋沢ゆかりの埼玉県内の期待は大きい。

同市には大河ドラマ館も設けられ、コロナ禍で世相が冷え込む中地域内外から注目が集まっている。

3年後の2024年には、自身が初代紙幣頭を務めた国立印刷局から発行される新一万円札にその肖像が採用されている。

「渋沢フィーバー」が始まるまで、秒読みだ。

■その渋沢が提唱した思想が、道徳経済合一説だ。企業の目的は利潤の追求ではあるが、その根底には道徳が必要で、社会全体の繁栄に向けて企業はじめとする各経済主体は責任を持ち行動すべきと説いている。

マネジメントという言葉がまだ知られていなかった時代において、CSR(企業の社会的責任)に通ずる思想を打ち立てたことは先見の明があったといえよう。

特に渋沢が生きた時代は富国強兵を進める時代だっただけに、大量生産・設備投資が推進された。その結果、足尾銅山事件のような悲劇も起きた。

このような利益・生産性第一の時代にあっても論語に基づき道徳をも美徳と捉えたところに、渋沢の人間性が表れている。

もっともその後世界では戦間期に入り、CSR批判で知られるシカゴ学派が台頭するなど利益・生産性主体の風潮は高まっていった。その結果、四大公害訴訟に代表されるように利益・生産性主体の姿勢が社会に悪影響を与えるのが問題となった。かくしてバブル期頃からCSRが提唱されるようになり、今に至っている。

■渋沢が生きた時代から150年近くが経った現在、社会に激動が生まれている。

新型コロナウイルスの感染拡大でそれまでの価値観が大きく変貌し、デジタルトランスフォーメーションやAI化が叫ばれている。一方で人々の距離は遠ざかり、コミュニケーションのあり方も変わろうとしている。地震や台風など災害の脅威にも日々晒されている。

各経済主体の最大の目的は利益にあることに異論はない。利益がなければ事業も続かないし、それを求めるのは当然と言える。

しかし、その根底には道徳、もっというと人の心がなければならない。どれだけAI化が進行しようと、最終的には全て人間に届くものである。利益・生産性を求めるあまり人間離れしたモノやコトを生み出していては、結局なんの利益にもならない。

■コロナで余裕がなくなっていることもあり、激動下にある現代社会ではまたも利益・生産性主体の風潮に向きつつある。

しかし、そのような時こそ「論語と算盤」だ。大河ドラマというと単なる時代劇ドラマに過ぎないのかもしれない。それでもその題材となっている渋沢が掲げた同説は、現代においても輝きを失っていない。

「説教くさい」「時代遅れ」という指摘もあるかもしれないが、今こそ渋沢の真髄に触れてみる価値はあるのではないのか。これも論語由来の「温故知新」だ。

その生き様は、激動の時代を生きる我々にこれからを生きるヒントを示すことだろう。

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