着物はよきもの 埼玉WABI SABI大祭典2019きものサミットが開催

先日1/26(日)に大宮公園内の埼玉県立歴史と民俗の博物館で、埼玉WABI SABI大祭典2019きものサミットが開催された。(主催:埼玉県)

着物からはじまるまちづくり

年をまたいでの開催へ

東京オリンピック・パラリンピックを控えた昨今、関東各地で市民による着物イベントが活発に行われている。

埼玉県内はもちろん関東一帯で「きもの」をテーマにまちづくりを行う団体が集い、互いに交流し、着物文化を次代へ伝えていくことを目的とするのが同イベントだ。

秩父・川越・館林・足利・伊勢崎の5都市で上記取り組みを行う5団体が、その取り組みの発表や参加者・都市間での交流を行う。

本来は昨年10/13〜14にかけて大宮公園一帯で開催される埼玉WABI SABI大祭典2019のプログラムの一環として開催される予定だった。しかし埼玉を襲った台風19号の影響で中止となっていた。

年は跨いでしまったものの、世界の大祭が行われる直前のこのタイミングで決行されることとなった。

参加者にも着物多く

当初の予定通り会場となったのは県立歴史と民俗の博物館。常設展示室では旧石器時代から現代までの埼玉県の歴史を紹介している。

同イベントが行われたのは同館の地下講堂。

300人ほどが参加したが、着物を題材にしたイベントということもあり着物を着用した参加者の姿も多く見られた。

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ミニ講演 恋する銘仙~ファッションとしてのきもの~

各団体の発表に先駆けて、シーラ・クリフ氏によるミニ講演「恋する銘仙〜ファッションとしてのきもの〜」が行われた。

1961年に英国で生まれた同氏は新座市にある十文字学園女子大学で英語ときもの文化を教える傍ら、国内外できもの展覧会やファッションショーの企画・プロデュースを行っている。

着物関連の著作も多く、最近ではInstagramにおいても実際に着用した写真で着物の魅力を訴求している。

講演内では民俗学者・今和次郎(1888〜1973)の研究をもとに、日本人女性と着物の関わりの変遷について説いた。

明治・大正・昭和と西洋文化が流入しても、 1930年代の銀座の街では7割近い女性が着物を着ていたという。今では街中で着用している人を見つけるのが困難になっているが、「モガ」が闊歩していた時代でも着物人気は根強かったのだ。

特に着物の元となる織物産業は他の産業が危機にあった時でも安定して収益を上げていた産業であり、大胆な色柄で自分を表現するツールとして多くの女性に愛されていた。それゆえ質が良くなくても重宝されていたし、現代人からするとジーンズに近い存在と同氏は説いた。

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地域おこし協力隊から「銘仙」起業家へー秩父

ミニ講演の後は各地域での事例紹介となった。

最初に登壇したのは、秩父ふるさと館(秩父市本町)で秩父銘仙のレンタルを行うイロハトリ彩機織の関川亜佐子代表だ。

元は秩父市の地域おこし協力隊として秩父銘仙の普及活動に取り組んでいたが、同組織を立ち上げるまでの経緯やその取り組みについて発表した。

秩父銘仙とは?

まずは秩父銘仙がなんたるかについて説明があった。

秩父銘仙はその名の通り秩父地域で制作・着用されている着物。元より養蚕業が盛んであった秩父だが、そこで作られた糸を用いた普段着用の着物だ。

明治時代より100年以上に渡って作られているが、最大の特徴は「ほぐし捺染」であること。すなわち経糸に粗く緯糸を仮織して、製織よりも先に型染を行うのだ。仮織りした緯糸を手でほぐしながら織るためほぐしと呼ばれる。糸に型染めをすることで表裏が同じように染色され、裏表のない生地ができあがるという。

そのような特徴を持つ秩父銘仙は、2013年に国の伝統工芸品に指定されている。

秩父銘仙の現状・問題点

そんな秩父銘仙だが、大正〜昭和初期にかけて全国的な人気を誇ったものの現在は22名の職人により年間200反が制作される。その22名のうち15名が60歳以上の高齢者だ。

かつては各工程ごとに担当業者があったものの、洋装化などによる需要減で廃業を余儀なくされる業者も出ていて分業体制が崩れつつある。

会場内でも秩父銘仙の知名度は高かったが、CMなどで知名度は高まっても実際に着用や購入に至ることが少ないのが問題と同氏は語る。

それゆえ産業としてどのように盛り上げていくかが課題とした。

同氏の取り組み

34歳の時に秩父に移住して地域おこし協力隊として銘仙の普及振興に携わった同氏。協力隊の任期後は銘仙の作成や工房設立に奔走している。

各種活動の中で、自分ごとになれば自ずと着用したいと思えるようになると同氏は感じている。

地元の小学生の型染体験も支援したが、その際実際に着てみたいという児童が多かったという。そこから学校や保護者と掛け合い卒業式での秩父銘仙着用を実施するまでに至った。

レンタル着物店の展開もその発展形で、銘仙のショールームとして着用機会の創出につながればという意図がある。

何より秩父銘仙は普段着として作られてきたもの。それゆえ令和時代の若者にもっと着てもらえたらと同氏。

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