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こども食堂の再始動はいつか?
私たちはこども食堂の再始動の検討をはじめ、備えなければならない。それがこの時代に巡り合わせた大人の責任ではないだろうか。
難しいところではある。調査結果にもあるように、子どもも恐れるコロナの感染の予防を図りながら、食のニーズに応え、併せて友達と会いたい、遊びたいといったニーズにも応える必要がある。
弁当や食料の配布も重要である。急迫した困窮への応急の支援ができるからだ。しかし、孤立や居場所の切実な欲求については、食料配布だけでは解決できない。
2012年から再登場したこども食堂が、当初から大事にしてきた、地域に子どもの居場所をつくり繋がりの接点になることが、今こそ求められている。今から数カ月後には、貧困の支援と共に切実に求められるだろう。
もともと、多くの子ども食堂は、「子どもの貧困問題」を報道等で知り、食事を助けたいという「普通の人々」の率直な思いと行動から誕生した。コロナウイルスの影響により、今この時も、そしてこの先も、多くの子ども達と子育て家庭が貧困と空腹に晒される。
そして子ども達が調査の中で訴えているように、孤立を脱し、コロナ休校による学習への不安に応えて具体的に支援し、遊びとスポーツの場を提供していく必要もある。
もちろん、こども食堂だけが、これらの子どもの必要に応えるのではない。こども食堂のミッションから、各地域で率先した活動と、支援のネットワーク構築を巡る議論の口火を切ることが求められていると思われる。
こども食堂の原点回帰 貧困、屋外、地域のなかへ
各地のこども食堂が、再び立ち上がる決断の時は近いと言えるだろう。
しかし、どのような形態の開催が考えられるだろうか。鍵となるのが、屋外、少人数、ドライブスルー、そしてパントリー+ミニこども食堂であり、全て感染予防の徹底が前提だ。
あまり知られていないことであるが、日本で初めての「子ども食堂」は1973年7月に横浜のドヤ街「寿町」のキリスト教会を会場に誕生し30名を超える子どもたちが集まった。この他にも、児童福祉やセツルメントと言われた地域活動の歴史の中にこども食堂=子どもに食事と居場所を地域につくる取り組みの源流がある。
1973年のこども食堂誕生に先立ち、1964年から「子ども会ぼっこ」の活動が簡易宿泊所で生活する子どもたちを対象に行われていた。キャンプやレクレーション、屋外でのスポーツなどの活動が行われていたことが記録に残っている。
加えて各都市の貧困世帯や労働者、住民の子どもたちを対象に「学生セツルメント」という地域福祉活動も取り込まれていた。その中でも同様に屋外でのレクレーションやキャンプが取り組まれている。
つまり、これらのこども食堂の源流、歴史から学ぶとき、感染を避けながら、子ども達のニーズにこども食堂が応えていくためには、屋外での開催が一つではないだろうか。
もちろん、マスク・手袋・消毒・社会的距離等による感染予防は前提である。これらを徹底した、少人数での開催という方法もある。現に多くのこども食堂が「休止」していた期間も、長野県や北海道等の各地で、1割の(むすびえの等調査)の子ども食堂が、感染予防の徹底と少人数等の対策を行いながら開催を続けてきた
また、最近、埼玉県や福島県等で開催されているのは、ドライブスルーこども食堂である。
加えて、こども食堂に来場する子どもも大人も生活問題を抱えてくるだろう。相談等の個別支援の仕組み(オンラインを含め)、福祉機関等との連携も、これまでよりも必要になる。研修等も必須になるだろう。
もちろん、感染予防と衛生管理や、万が一に備える運営体制の強化などの課題もある。
しかし、迫り来る子どもと家族の失業と貧困、孤立を防ぐために、こども食堂は子ども達と家族の居場所として、再始動する必要があるだろう。貧困等に晒された多様な人々を支える、地域のみんなの共生食堂としての再出発だ。
行政と民間による貧困との総力戦
こども食堂の活動等に対して、本来は行政が行うべきではないかなどの意見は以前から主張されてきた。もちろん行政にしか出来ない、生活保護制度の運営等の重要な役割がある。
今回のコロナによる生活の危機に際して、緊急小口資金などの生活福祉金貸付制度が注目を集めてきた。この制度は、戦後の民生委員の活動が基盤になり創設された意義ある制度である。しかし貸付であり、返済しなければならない。
長期間の失業と生活困窮については、生活保護の給付が必要であろう。しかし生活保護は、申請した後14日もしくは30日の後に申請の結果が通知され、給付が開始されるか否かを決めるのは福祉事務所である。
つまりこども食堂が、この生活保護の給付等に至るまでの世帯の、緊急の支援の一翼を担う必要があるだろう。
加えて孤立や学習の支援の必要がある。生活困窮世帯等は社会的孤立の傾向があると社会福祉の中では言われている。支えが必要な人々ではあるが、支えるつながりから孤立をしている傾向がある。待ちの姿勢ではなく、支援側からアクセスするアウトリーチ型の支援も必要である。
また、小中学生の学習のつまずきは、不登校やいじめなどにつながりかねない。長期化する問題の予防でもあるのだ。加えて、単に無料の塾を行うだけではなく、学習環境を整えるところからの、民間による個別の支援が求められている。
もちろん、上記はこども食堂だけの役割ではなく、学習支援や児童福祉・地域福祉・スクールソーシャルワーカーの分野の活動でもある、しかし、生活保護さえあれば、生活困窮者は完全にサポートされるというのは誤りであることは明らかだ。
福祉行政とこども食堂や民生委員等の従来からの地域福祉、スクールソーシャルワーカーなどの民間活動がネットワークを構築し、協働でこの国難にあたっていく必要があると考える。言い換えるなら、地域社会の総力を挙げた貧困との闘いがはじまろうとしている。知恵と力を合わせることが出来なければ、ウイルスにも貧困にも勝利は遠いものとなるだろう。
こども食堂から「地域のみんなの共生食堂」へ-多様な子ども達の盾に
こども食堂には、いくつもの強みがある。ボランティアの人数も多くなく法人格もない組織ではあるが。
こども食堂は、子育て世代からシニア世代までの様々な職業の人々が、また高校生や大学生等と多様なボランティアが関わっている。コロナによる予想不能の事態に対応し、社会の分断と対立に対話と交流を促すため(後述)、この多様性が知恵と力となるだろう。
そして、大事なことは「支える側」の職員、「支えられる側」の利用者に分かれた専門職の支援とは異なる特徴がある。つまり、困窮世帯の中でも、生活が落ち着いた後、手伝いたいという大人や、自分よりも小さな子どもの兄や姉のような立場で、遊びを支えていきたいという子どもも現れるだろう。学生がその媒介となり、学生も子どもと「斜めの関係」を深めていく。
つまり、こども食堂の特徴は、地域に密着した支え合いの接点、共助の活動を促進することが可能な場だということだ。
今回のコロナウイルスの感染拡大の中で、気になったのは社会の中の分断・対立である。これは綺麗事だけではないこともあるだろう。しかしウイルスとの闘いにおいて、人間と人間が支え合わなければ、勝てるはずがない。
こども食堂のこれからの役割は、地域社会に向けて、分断や孤立ではなく共生と交流を、対立ではなく共助を、相互監視ではなく寛容を訴えていくことであろう。
コロナウイルスの脅威には、外国にルーツを持つ子どもも等しく晒されている。
これはハンディキャップを持つ子どもも等も同じだ。今日のコミュニティの多様性に目を開くときだ。こども食堂は、外国にルーツのある子どもハンディキャップを持つ子ども、支援を必要としている高齢者などにも視野を広げていく必要が出てくるのだろう。
これからのこども食堂は、この子どもと大人たちの多様性を包摂する居場所であることが求められるだろう。そして交流、話し合いを活性化していくことも必要だ。
コロナを経たこども食堂は、子どもと家族の失業と貧困に真正面から取り組みながら、社会の分断と対立に対して、共生やソーシャル・インクルージョンのメッセージを伝えていく活動にもなる。
もしかしたらこども食堂はこの先、時には今までのような追い風だけではなく、逆風の時もあるかもしれない。しかし、もしそれが子ども達と家族を護るための盾となるためならば、名誉なことではないだろうか。こども食堂全体が、社会に対して子ども達を擁護するため、立ち上がるべきときもくるだろう。
多様な子ども達と家族の盾となり、共生と支え合いのメッセージを伝え続ける。これがコロナウイルスで休止したこども食堂の、再出発のテーマの一つだろう。