初期の完成イメージを見る
初期に検討されていた地区の完成イメージを見てみよう。
初期段階で県や旧3市が発行したパンフレット「さいたま新都心計画-21世紀の内陸都市-」に完成イメージが掲載されている。
これを見ると現在さいたまスーパーアリーナがある箇所に埼玉コロシアムが、小児医療センターがある箇所に埼玉メッセが検討されていた。そのほか複合交通センターなども検討されていたが、後にけやきひろばとなる多目的広場や新駅など完成後の街並みに非常に近くなっているのは特筆されよう。
このうち埼玉コロシアムは野球やサッカーなどのスポーツからコンサートや展示会など様々な用途に対応する多目的スタジアムとして検討されていた。
埼玉メッセも講演会や各種会議など多彩なコンベンションニーズに対応できる施設として検討されていたが、幕張新都心の幕張メッセが影響を与えたのだろう。
結果的にこれら2施設はさいたまスーパーアリーナに集約されるのだが、その過程は後の回で取り上げる。
事業計画認可、着工へ
政府系機関移転と同時期に同地区の土地区画整備事業や都市計画道路計画が決定し、まちづくりの方針が固まった。
翌1990年には県および大宮・浦和・与野市が住宅都市整備公団へ事業施行を要請、翌々年1991年に事業計画が認可された。
こうして同年11月に着工が始まり、長らく操車場として機能した同地区が本格的に生まれ変わることになった。
次回は同地区に設けられた施設の特徴や建設過程での裏話を紹介する。
つづく
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