【埼事記 2023/5/14】久喜市での遊具事故 子どもの思いまで縛らないで

■「子どもたちというのは、我々が目にすることのない時代へ向けた生きるメッセージである」

第35代の米国大統領で、今から60年前の1963年11月22日にテキサス州ダラスで凶弾に倒れたジョン・F・ケネディの言葉だ。

このケネディの長女というのが駐日米国大使も務めたことがあるキャロライン・ケネディ氏なのだが、まさか本人も子どもがそのような職に就くとは思わなかっただろう。子どもたちが生きる時代に大人は共に生きているとは限らない。だからこそ子どもたちに少しでも多くのモノやコトを残して、これからの人生を切り開いてほしいと思うのだ。

■5/5の子どもの日を目前にした5/2、子どもたちにとって大事な場所で憂うべき事故が起きた。

久喜市の保育園で、園庭の一角に設けられた築山で遊んでいた3歳男児が築山上のウッドデッキへ伸びるトラロープに首が絡まり、意識不明の重体となった病院へ搬送された。このウッドデッキは同園お手製で、ロープもこの日に設置されたものだった。事故発生当時は34人の園児が園庭で遊んでいたが、6名の保育士はこの事故に気づかなかったという。

事故を受けて警察の実況見分などがなされ不穏なゴールデンウィークとなったが、同連休明けの5/8より同園は再開。事故のあった築山周辺は立入禁止となったが、被害にあった男児のその後の容態は明らかになっていない。

■今回の事故を受けて男児の回復を願う声と同時に、「手製遊具は安全性に乏しい」「遊具の安全性を確保すべきだ」といった声も多数上がっている。

子どもたちに手作りの遊具で楽しんでほしいという気持ちはもっともだし、できることならそうさせてあげるのが一番だ。それでも、子どもたちが触れて遊ぶ遊具については安全性が確保されるべきだ。

園としても様々なリスクを鑑みて設計・運用できればまた違う結果になったかもしれない。事故が起きてしまった以上は再発防止や信頼回復に向けて、精一杯取り組んでほしいと思う。

男児の回復も心から祈っている。

■しかし、こうなった時に一番かわいそうなのは当の子どもたちだ。

せっかくの楽しい、それもお手製の遊具が取り上げられてしまって残念に思うことはこの上ないし、それまでの遊びができず遊び方の再考を迫られてしまう。

ここ20年ほど、公園などから遊具の撤去が相次いでいる。回転型のジャングルジムやブランコ、滑り台と我々大人にとっては昔よく遊んだ遊具が公園から消えているのだ。少子化はもちろん、老朽化や実際に事故が起きたことなどが主な理由とされる。砂場も猫避けなどの理由で封鎖されているものもあり、近隣へ配慮してボール遊び禁止という公園も少なくない。

3月には「子どもの遊び声がうるさい」という近隣住民からの指摘で、長野市内の児童公園が廃止になるなど、子どもの遊び場自体がなくなってしまいかねない。「子どもの声は騒音ではない」とする法律を国が制定する意向とも報じられているが、この少子化の中で子どもたちの肩身はますます狭くなっている。

■独り身の青二才な小生ではあるが、肩身の狭い思いをさせてしまい、大人の代表として子どもたちには本当に申し訳がない。

少子高齢化でただでさえ子どもの数が少ないのに、その少ない子どもたちが将来は高齢者を支え低成長の続く日本社会を担っていかなければならないのだ。そんな子どもたちに、我々が楽しんだ遊びすら渡すこともできず、むしろ一層肩身の狭い思いをさせてしまう。もどかしさややるせなさを感じずにはいられない。

だからこそ、体を使って遊ぶことが難しくなっても、せめて子どもたちの思いには応えられる社会になれないか。いじめの深刻化や不登校児や母子・父子家庭の増加など、子どもを取り巻く状況も複雑になりつつある。7人に1人の子どもが貧困にあえいでいるという。また、デジタル化やグローバル化に伴って、NFTアート製作や海外留学などそれまでとは異なる人生を送り出す子どももいる。

そうした子どもたちへの偏見もまだ見られるが、遊具の撤去然り大人の事情で一方的に子どもたちをコントロールするのではなく、子どもたち一人一人に寄り添ってその思いの体現を応援する。そんな社会にしていかないと、子どもたちも浮かばれないしこれからの人生に希望も持てなくなる。

■「いい子どもにする最善の方法は、彼らを幸せにすることだ」

アイルランドの作家、オスカー・ワイルド(1854〜1900)の言葉だ。

安全の確保はもっともだが、一番大事なのは子どもたちにとっての幸せだ。苦しい時代を生きていく子どもたちに我々大人が何を残せるかーそうした子どもたちの思いに応える器量の大きさや道筋を示してあげることだ。生き方も多様になる中で幸せやそこへ向かう道も多くあるが、苦しいときも楽しいときも途中までであってもそうした道を一緒に歩む仲間が我々大人なのだ。

何かの間違いでこんな新聞モドキにたどり着いた子どもたちにも、少しでも弊紙がその幸せに繋がってくれることを祈らずにはいられない。

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