【埼事記 2021/11/11】悲喜交々の衆院選 国政でも地域から

■「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」

人情派政治家として知られ、1955年の自民党結党につながる保守合同にも奔走した大野伴睦(1890〜1964)が残した言葉である。

国政に限った話ではないが、議員というものは選挙を通じて選ばれる。選挙で当選をつかめれば任期中は議員特権のもとで身分が保証されるが、落選となれば裸一貫で次の選挙に備えなければならない。

天国か地獄か、選挙に出馬する候補者の頭の中は常にその言葉でいっぱいなのだろう。

■ハロウィンで沸いた先月31日に令和初となる衆議院議員選挙の投開票が行われた。

岸田政権成立からわずか1ヶ月後と異例のタイミングでの総選挙となったが、政権奪還へ向けて小選挙区で立憲民主党と日本共産党が候補を一本化する野党共闘が大きくクローズアップされた。そのような情勢の中で成立間もない岸田文雄政権擁する自民・公明両党の苦戦が各メディアにより予想されていた。

しかしその予想は大きく覆されることになった。蓋を開けてみると立憲は議席数を公示前比13減の96、共産も同2減の10に留まった。東京8区で石原伸晃議員が敗れるなどの逆転劇は生まれたが、結果的に野党共闘は振るわなかったといえる。

個々の議員についても、大物ベテランを中心に苦戦した。議員在職50年を誇る小沢一郎氏も小選挙区で敗れて比例復活、立憲副代表の辻元清美氏に至っては比例復活もならず完全敗北となった。立憲代表たる枝野幸男氏も埼玉5区から出馬したが、自民党の牧原秀樹氏との接戦の末深夜にかろうじて当確を勝ち取ったほどであった。今回の結果を受けて、枝野氏は当初は続投意欲を示していた代表から降りる旨も公表している。

■立憲・共産両党が仮想敵と捉えた自民党も15議席を失ったが、議席数は261と単独過半数を維持している。

それでも幹事長だった甘利明氏が小選挙区で敗れての比例復活、前述の石原伸晃氏も比例復活ならず完全敗北と少なからぬ痛手を受けた。甘利氏も今回の選挙結果を受けて幹事長を辞した。

痛手を負って10以上議席を減らしながらも単独過半数を維持しているのを見るに、総裁選後の支持率向上の恩恵にうまくあやかったと言える。

■そんな中で大阪発の日本維新の会が公示前の4倍近い41議席を獲得し、思わぬ躍進を遂げた。勢力圏たる近畿はもちろん、全国的に比例で議席を大量に獲得している。埼玉からも比例北関東ブロック経由で2議員が議員バッジを勝ち取った。

副代表の吉村洋文・大阪府知事が対策に奮闘するなどコロナ禍で地域第一の活動を行なっていた。所属議員の不祥事はあったが、このことが高く評価されて今回の結果につながったことは間違いない。

■自民にも立憲にも言えることだが、とかく日本の政党というのは東京一極集中型だ。郊外部であってもほぼ全ての地方議会に東京に本拠を置く公明・共産いずれかの議員がいて、結局は東京の党本部の意向を無視できないでいる。

目標としていた大阪都構想の実現は潰えるも維新は大阪発の政党だ。この点で他の政党とは一線を画す。

いくら国会で目立つ発言しようと、国政議員を決めるのは地域の選挙区の有権者である。全国的な知名度があっても、まずは地域での支持を得なければ議員バッジは離れていく。当たり前ではあるが皆が意識しているわけではないこの基本に則ることが、勝負の分かれ目であったといえよう。

ところで、地域発の政党といえば前埼玉県知事で参議院議員の上田清司氏も今回の総選挙へ向けて新党結成を画策していたという。政党要件を満たすだけの議員が集まらず断念したそうだが、結党されていたら埼玉発の政党になっていたかもしれない。

■兎にも角にも、成立間もない岸田政権は総選挙という第一関門をなんとか乗り越えた。「メガネ宰相は短命」というが第100代首相としては1カ月足らずと下馬評通りの「短命」となった。

昨日の特別国会を経て第101代首相として第二次内閣が始動したが、ここからがいよいよ腕の見せ所だ。安倍・麻生・甘利の「3A」の影が依然としてちらつきコロナへの不安もある中、いかに独自色を出していけるか、首相としての本領が問われる。

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