新座市で感じる武蔵野 その6 名馬の伝説にお囃子ー大和田町の歴史遺産

新座市の紹介は今回で最後となる。

新座駅北側に位置する大和田町に残る歴史遺産を見ていく。

亡き後も走った名馬ー鬼鹿毛の馬頭観音

町域境にある観音様

新座駅へと戻り北口へ。南口とは打って変わり周辺は閑静な住宅街となっている。

駅周辺の道を通って交通量の多い旧川越街道へと出る。

5分ほど歩くと野火止と大和田の町域に達するが、ふと道の脇に目をやると屋根の中に鎮座するお地蔵さんのようなものが見える。

近くには石碑があり、なにかしら歴史のある場所らしい。

これは鬼鹿毛の馬頭観音。同市最古となる1696年の元禄時代製で、高さは127cmある。

名馬の伝説にちなんだ観音

民間信仰では馬の守護仏としても知られる馬頭観音だが、同地に建ったのは以下のような伝説に基づく。

その昔、秩父の小栗という人が江戸に急用があり、愛馬鬼鹿毛に乗って道を急いでいた。
この地にあった大和田宿に入ったところで、流石に疲れた鬼鹿毛はこの場所にあった松の大木の根につまずいて倒れた。
それでもただちに起きあがり、主人を目的地まで届けたという。

その後小栗は江戸で所用を終えて鬼鹿毛に乗り帰ろうとするも、いるはずの鬼鹿毛の姿が見えない。
不思議に思い別の方法で秩父に戻る小栗だったが、大和田の地に差し掛かると先述の松の大木のところに鬼鹿毛の亡骸を見つけた。

鬼鹿毛は亡き後も亡霊となって走り続けていたのだ。

こうして鬼鹿毛の霊を弔うために村人が同観音を建てたという。

スポンサーリンク

市内最古の大和田氷川神社

鎌倉武士を見送った神社

もう少し歩くと、市内最古の大和田氷川神社がある。

スサノオノミコトを祀る同社は、縁起によると平安時代の802年創建とされている。以来地域の守り神として君臨する。

鎌倉時代にこの一帯は幕府の支配する大和田郷であったが、ちょうど同社の近くには鎌倉道が通っていたという。「いざ鎌倉」と鎌倉へと向かう武士も、同社を立ち寄り武運を祈ったことだろう。

本堂の彫刻

こちらは拝殿裏にある同社本殿。

白木造りの壁面には見事な彫刻が彫られている。

「鞍馬山の天狗と牛若丸」「養老の滝の伝説」「神功皇后と竹内宿禰」の3つが描かれているが、いずれも浅草当代の名工と言われた島村源蔵の作。風格ある江戸彫りによって透し彫りに仕上がっている。

同社に伝わる祭祀

大和田囃子

ところで境内にはこのようなお社がある。能舞台ではなさそうだし、なにに使われるのか。

(新座市産業観光協会HPより、以下同)

これは同社に伝わる大和田囃子の演奏に使われる。4/19の神楽奉納と7月の最終金・土曜日に行われる夏祭りで披露されている。

同囃子は江戸神田囃子の流れを汲む祭囃子で、江戸末期に大和田の人々が王子村の三次から教わった囃子を神輿とともに神社に奉納し、それを「大和田囃子」と称したのが始まりという。

曲目は「屋台」「昇殿」「神田丸」「鎌倉」「仁羽(にんば)」などがあり、楽器は大太鼓・締太鼓・拍子木・鉦・篠笛の組み合わせで構成される。
曲目によってはおかめやひょっとこなどの面を付けた踊りがつく。

古くには山車が曳き出されたが、現在ではこの囃子棚において大和田囃子保存会の皆様により演奏がなされる。

裸みこし

先述した裸みこしも同社に古くから伝わる祭祀だ。7月の最終金・土曜日に行われる夏祭りで披露される。

白足袋を履いて一反さらしをふんどしと腹巻にして締め上げ法被を纏った担ぎ手が、重さ約240kgの神輿を担いで川越街道を練り歩く。その際に法被を丸めて肩に乗せ、担ぎ棒が直接肩に当たらないよう保護する姿から、裸みこしと呼ばれるようになった。

大和田囃子の先導のもと「やんよー、やんよー」の掛け声とともに街道を練り歩きながら、神輿を左右に荒々しく揉んだり、頭上に差し上げたりとなかなか荒々しい一面も見られる。

スポンサーリンク

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事