正論でも発信してよいタイミングがある

藤田氏が述べている主張の本質そのものには、私も同意するところがあります。

いわゆる、「社会的排除」という状態に置かれた人たちは、社会との連携を絶たれ、追い込まれた上で自暴自棄となり、さらに一部の人たちが、「拡大自死(自殺)」という「生の世界への最後の抗議」の手法を取ることがある。これは一つの極めて悲しい現実であり、加害者の行動原理のその背後に潜む社会的な構造上の不備について、冷静かつ客観的に考察すべき必要性がある、という点を、私も、地域のコミュニティ再生に取り組む一人の人間として、否定しません。アウトローの世界にのみ唯一居場所を見出す人たちがいる。そうした人たちを必要以上に追い込まない。社会的排除をこれ以上生み出し続けないための、共同体の再構築も同時に必要と考える立場です。

ただしそれはあくまでも、何の責任も落ち度もない、無辜(むこ)の子どもたちをある日突然失い、平穏な日常を一方的かつ理不尽に奪われたご遺族と、強い恐怖の中で、たった一度しかない生の瞬間をはかなくも終えることになってしまった小さな犠牲者の方々に、心から哀悼の意を伝え、社会の正常な怒りの波が、時間の経過とともに少しでもトーンダウンするであろう将来の適切なタイミングを見計らって発すべき「極めて繊細な正論」である、という点を、藤田氏は真摯に受け止め、理解する必要があります。

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悪意の炎上商法でないなら、怒りの声に真摯に耳を傾けるべき

藤田氏は、このタイミングで声明を出すことに意味があると判断されたのかもしれませんが、それには明らかに言葉足らずでした。それは今回の大炎上というリアクションからも明らかです。当事者ではない立場の人間が、社会に向けて強いメッセージを発する際、社会の共同体の一員として守るべき最低限のマナーというものを考慮する必要があります。特にこうした、社会に大きなショックを与える痛ましい事件が起こってしまった直後においては、それは極めて重要なマナーとなります。

とは言え、誰にでも誤りがあり、言葉足らず、説明不足で誤解を招くことがあります。こういうことを述べている私も例外ではなく。

氏が伝えたいことに一定の理解を示す人もいます。よくぞ言ってくれたと称える人もいるでしょう。受け止め方はそれぞれで、そこには多様性というものがあって良いのだと考えます。

ただ、ここまで世論を分断するかのような大炎上状態を招いた以上、「まずは無実の犠牲者とご遺族への寄り添いを優先させるべき」という、多くの人たちが発する怒りの声に真摯に耳を傾け、そのリアクションに対するコメントを、今ここで、誠実に述べる必要があるように思います。

現時点(201962日の午前)では、氏は、「やはりこのタイミングで発信してよかったと思います。大きな反響がありましたから」というコメントを発するのみで(氏のFacebookにて)、そこに、そういう意図でないにせよ、言葉足らずにより混乱を招いたことに対する、社会活動家としての真摯な姿勢は残念ながら見受けられません。

私は、氏のこれまでの長期にわたる数々の言動から、今回の件は、氏特有の「悪意ある炎上商法」であることを個人的には確信しており、氏が、上記の趣旨に沿う釈明のコメントを出す可能性は限りなくゼロに近いと考えていますが、それでも、もし仮に、氏が社会福祉という、人の心に寄り添う世界の住人であると、これからも主張し続けるのであれば、という一縷の望みにかけ、この記事を発した次第です。

記事作成

川口こども食堂 代表

佐藤 匡史

※本記事は、子ども食堂関係者としてではなく、犠牲者の子どもたちと同年代の子を持つ一人の親として作成したものです。

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