月末恒例金欠時に捗る埼玉の思わぬ歴史をご紹介する愛と哀しみの埼玉シリーズ
今回は、割とホットなこのネタを出発点にご紹介です!
とうとう千葉が歴史用語に
埼玉のライバル?千葉が…
東京、神奈川には届かないにせよ、関東の3番手は俺だといつもバチバチ火花が飛ぶとか飛ばないとかで話題の、埼玉のライバル、です
しかし、ついに千葉が・・・
しかし、そんな泥沼の戦争に終止符が打たれたような(?)出来事が起きてしまいました
以下、先日13日の毎日新聞から
地球のN極とS極が最後に逆転した痕跡を示す千葉県市原市の地層について、国際地質科学連合の作業部会が、77万年前~12万6000年前(中期更新世)を代表する地層として内定した。正式認定されれば、中期更新世が「チバニアン」(ラテン語で「千葉時代」)と命名され、地球の歴史を分類する地質年代に「千葉」の名前が刻まれることになる。地質年代に日本にちなんだ名称が付くのは初めて。
(引用元:チバニアン:地質年代に 77万年前、磁場逆転の痕跡 2017/11/13 毎日新聞)
いいですか?
よく見てください、千葉時代ですよ千葉時代
ね、嘘じゃないんですよ?
とうとう、千葉の時代が来てしまったようです・・・
あの方も大激怒
もちろん、埼玉を愛する身としても黙っちゃいられません
あの方も、ツイートで深い憤りを示されていました
では次は埼玉時代でよろしく。 (T) #千葉時代 https://t.co/MGjYdCOFKC
— HISTORY (@HISTORYjp) 2017年11月13日
歴史関係の番組で名高いヒストリーチャンネル様です。
ついに千葉の時代が来てしまって、たまったもんじゃないという声がこんなふうに出てしまっています
それでも負けは負け
千葉は市原で、地球のS極とN極が最後に入れ替わったことを示す、およそ10万年以上前の地層が見つかったことから、このように千葉時代が生まれてしまったわけです
埼玉県民としては、素直に負けを認めざるを得ません
古代の埼玉は千葉に負けていなかった!?
古代の埼玉にはアレがあった
だがちょっと待ってほしい
ここで終わるのは早すぎる
どんなに歩いても海がないとバカにされる、もといもっともなお言葉をいただくことが多いわがふるさと埼玉県
ご存知の通り、ど内陸県であります。
しかし、しかしですよ?
そんな埼玉にも、大昔には海があったこと、皆様はご存知でしたか?
まあ、何となく学校で習ったという人は多いんじゃないかと思います
ていうか、むしろ海の底…
てなわけで、チバニアンに対抗して、古代という言葉から着想を得て、そんな知られざる埼玉の歴史を解き明かしていこうと思います
埼玉は海の底だった!?
今から3億年前にさかのぼると…
無理やりな感じがしますが、今から3億年前
一体埼玉の地はどんな感じだったのか?
今と同じような土地に、ティラノサウルスが住んでいた!そんな風に思われる方もいらっしゃるかもしれません
なんと、3億年前、古生代石炭紀の埼玉は海の底だったのです
そもそもティラノサウルスからして白亜紀の恐竜な件。日本にはいなかったらしいし…
海底のお盆だった日本
この時の日本列島は、海底で長く伸びたお盆のような形になっていて、海岸から波や海流で運ばれる砂や泥のたまり場になっていたといいます。
そして、生物の死骸も多く溜まり、フズリナやサンゴといった生物の死骸がたまっていったといいます
武甲山はブラキオサウルスと同い年!?
その後、約1億5千万年前の中生代ジュラ紀に入ると、海底で造山運動が起こります
造山運動っていうのは、山や列島が生まれるような地殻変動のことですね
秩父の代表的な山である武甲山や両神山が海面に表れてきたのは、このころだといわれています。
ちなみに、このころ生きていた生物の中で、代表的なものと言えば、男の子なら一度は図鑑で見たことがあろう、ブラキオサウルス
ビルの5階程度の高さを有する、世界最大とも言われるあの恐竜です!当然、日本には住んでいなかったんですけどね。
その後、白亜紀、ちょうどティラノサウルスが生きていたあたりに、日本列島はアジア大陸と陸つなぎになりました
霊長類が生まれた頃、秩父は再び海に
そうして長かった恐竜の時代が終わり、今から約6500万年前、我々の祖先である猿の仲間霊長類が誕生します
地質学的には、ここからが現在につながる新生代というわけです。
その名はなんと…
そのちょっと後、約6000万年前になると、再び地面の沈降が起きて、武甲山など秩父の山々のふもとにも水が浸入してきます。
ちょうど秩父の山々の海抜400メートル以下のところが海岸線になり、湾ができていたようです。
その名も、秩父湾
いいですか、秩父湾
ね、ほら?
だから言ったでしょ?古代の埼玉には海があったって
事実、秩父ではこのころのものとされるカニやカキなどの化石も見つかっています
さあ、いかにして現在の秩父が出来上がったか、そして大宮の土地はどのようにできたか、次回解説していこうと思います。
次回も、はっきし言って、おもしろカッコイイぜ!
つづく
参考文献
◇秩父市誌
- 発行年:1962年
- 著者:秩父市誌編纂委員会
- 出版:秩父市