川が育む吉川市 その1 川に挟まれたなまずの里

今回から連載形式で、埼玉県東部の吉川市の魅力を取り上げる。

吉川市のプロフィール

まずは同市のプロフィール。

地域概要

県南東部に位置する同市は約7万人の人口を有する。

西側に中川、東側に江戸川がそれぞれ流れ、川に挟まれた地理が特徴的だ。

起伏の少ない平坦な低地の市域内では、南部をJR武蔵野線が横断し、吉川駅周辺を中心に市街地が形成されている。一方中央・北部には田園風景が広がっているが、吉川きよみ野付近を中心にベッドタウンとして宅地化も急速に進んでいる。

吉川の名前の由来

吉川はもともと芦川という意味だった。これは地域の低湿地を流れる川にアシが多く生えていたことに由来する。

ただアシでは悪(アシ)と聞こえ縁起が悪い。芦はヨシともいうため、縁起を担いで「芦」に「吉」の文字を当てたと考えられている。

地域の歴史

中世までは下総国に属していた地域は、古来より稲作が盛んに行われていた。江戸時代に天領になった後は中川を通じて江戸と結ばれるということもあり、中川の水運も盛んに行われた。

現在の市域が固まったのは1955年で、この頃は吉川町という町であった。しかし1973年に国鉄(現:JR)武蔵野線が開通すると急激に人口が増加し、1991年には市制施行の目安となる5万人を突破。

1996年に市制施行し吉川市となった。

その後2015年には人口が7万人を突破した。加えて昨年2019年には、中川沿いにあった市役所が吉川きよみ野に移転している。

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川魚と縁深い地域

駅前で輝く黄金のなまず

JR武蔵野線に乗り街の玄関口たる吉川駅に降り立った。

1日に約18,000人が利用する同駅には隣接する松伏町からの利用客も多い。南越谷駅で東武線に乗り換えれば都心まで1時間程度で出ることができる。

同駅南口には、金色を纏うなまずのモニュメントがある。親子から成り、大きい親は幅にして3.5m、子どもは1.1mの大きさだ。

なまずは金胎漆塗り金箔仕上げで、蒔絵の人間国宝である室瀬和美氏により1995年に作られたものだ。

なぜ、なまずが?

しかし、なぜなまずなのか。

それはなまずをはじめとした川魚が、地域と切っても切れない関係にあるからだ。

地域概要にもあるように中川・江戸川という2つの川に挟まれた地域では、川魚料理という食文化が根付いてきた。家庭においては、川で採れたなまずの身を包丁で叩きみそなどを練り込み丸めて揚げた「なまずのたたき」などが郷土料理として親しまれてきた。

また江戸初期には河岸付近に川魚料理を扱う料亭が軒を連ねてきたが、近藤勇など歴史上の著名人も食してきたという。「吉川に来て、なまず、うなぎ食わずなかれ」という名声もあるほどだ。

こうしたことから市としてもなまずの里のPRを行なっており、同モニュメントが設けられたのもその一環だ。

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