幻に終わった開発計画

今度は西側地区を見てみよう。街開き以降も引き続き開発が行われているが、実現しなかったものもある。

新タワー建設は叶わず

同地区の「シンボル的な業務商業地区」としていた2.4haの8-1A街区。街開き以前は500m超の超高層ビルを建てる構想があった。

しかし長引く景気低迷などの影響で実現できず、街開き以降は臨時駐車場として利用されてきた。

転機が訪れたのが2004年。地上波デジタル放送への移行を控え第二東京タワー建設の機運が高まる中、県とさいたま市は同地区に600m級のさいたまタワー誘致に乗り出した。

東京の震災時のバックアップ機能が優れているとして誘致を行なっていた墨田・台東エリアに次ぐ候補地となったが、電波の混信世帯は約14万世帯と墨田・台東案の7倍に及ぶとされた。

結果的に2006年にこれらを勘案し墨田・台東エリアに決定(その後東京スカイツリーとして建設)されたことで、誘致は叶わなかった。

県内最高を目指したMNDさいたま

同タワー誘致に失敗した県や市や都市再生機構は、2007年に同地区へのシンボル高層ビル建設を各企業団に対して募集。

三菱地所や大栄不動産らによるMNDさいたまビルの建築構想が採用され、事業展開が検討されることになった。この構想では県内最高となる高さ186m地上38階のビルと公共公益棟類を建設し、オフィスやコンベンション施設などの設置が盛り込まれた。

当時の相川宗一さいたま市長(デジカメWatchより)

中でもさいたま市は公共公益棟「さいたまサッカープラザ」の設置を模索していた。この中にはサッカーのまち・さいたまを代表する施設として、地域におけるサッカーの歴史を展示するミュージアムや試合を観戦できるスペースやフットサルコートなどが配される計画だった。

当初は2009年に着工し2013年竣工予定だったが、着工予定の2009年にさいたま市長選挙で、同プラザ建設撤回を公約に掲げた清水勇人氏が市長に当選。これにより着工がさらに1年遅れた。

さらにリーマンショックに伴う不況が追い打ちをかけ、結果的に同ビルの構想自体が白紙となった。

病院開設で一応の収束

こうして長らく宙に浮いたままの同地区だったが、2016年にさいたま赤十字病院と埼玉県立小児医療センターが設けられ一応の収束を見せた。

両病院とも老朽化が深刻なことや東日本大震災を受けた広域防災拠点の強化の必要性などを受け、統合する形で移転することになった。

北側に赤十字病院、南側に小児医療センターが置かれる。このうち北側の赤十字病院は632床で、屋上にはヘリポートを設けている。また南側の小児医療センター(316床)には新生児集中治療室をはじめ県立けやき特別支援学校や患者家族用宿泊室「ドナルド・マクドナルド・ハウス さいたま」などが併設されている。

スポンサーリンク

近年の話題

街開きより20年を迎えた現在も、さいたま新都心では開発が止まることはない。

近年では特に東側地区の旧三菱マテリアル中央研究所跡で開発が進んでいる。

バスターミナルが供用開始

先月6/1、その東側地区でさいたま新都心バスターミナルが供用開始となった。

大宮駅やさいたま新都心駅など、それまで点在していた地域の長距離バス乗降場を集約したものになる。初期に構想されていた複合交通ステーションに近いイメージだろうか。

バス乗降場をはじめ待合室やカウンターやトイレなどが設けられている。さいたま新都心駅からは歩いて7分ほどだが、24時間対応の駐車場も隣接して設けられた。

現状新型コロナウイルスの影響で運行されるバスも限られてはいるが、北は青森・南は神戸三宮と全国を結ぶバスが発着する。成田空港へ向かうバスも発着する。

将来的には市役所移転も?

まだまだ開発余地がある分この東側地区ではビルやマンションの建設が進んでいる。

線路沿いでは衣料販売大手のしまむらが地上12階建ての新本社棟を建設中。ファッションセンターしまむらやAvailなど同社店舗が入る商業棟も隣接して設けられる予定だ。

来年3月の供用開始を目指している。

加えて、東京建物や住友不動産など6社による総計画戸数約1,440戸の分譲マンション「SHINTO CITY(シント シティ)」の開発も進んでいる。総開発面積にして26,000㎡を超えるという大規模プロジェクトは、県内最大級の規模だ。

第一街区は今年12月竣工・来年3月引き渡し予定で、2022年までに全街区が完成予定。

このほか時期は未定だが、浦和にあるさいたま市役所の移転も検討されておりコクーンやバスターミナル周辺、吉敷町の食肉中央卸売市場が候補地となっている。

21世紀を目前に誕生したさいたま新都心。

20年の歴史の中、オフィスや商業の中心、さらにさいたまクリテリウムなどに代表されるよう文化の発信点になるまで成長を遂げてきた。

地域においても少子高齢化の波が押し寄せ街も変わりつつあるが、次の時代に向けてさいたま新都心は今も歩みを止めていない。

おわり

スポンサーリンク

連載一覧

スポンサーリンク

この記事が気に入ったらフォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事