
お世話になっております。
さいたま市で観測史上最低気温、か…。
昨日に引き続き、我が埼玉県の知られざる鉄道の延伸・建設計画についてご紹介できればと思います。
もともと大学時代にこういった交通政策やまちづくりを扱うゼミに在籍していたものなので、いつも以上に気合が入ってしまいますね。
いろいろ暴走しがちですが、どうか見捨てないでやってください。
埼玉県内完結の鉄道計画
昨日は都内に通ずる路線の延伸計画を中心にお話しいたしましたが、今回はそうではなく、埼玉県内、ないしは東京以外の県を結ぶ鉄道路線の計画をご紹介いたします。
まずは、県内完結の鉄道計画から。
東西交通埼玉ルート(浦和美園~さいたま新都心~大宮)
以前もご紹介しましたが
以前もこのシリーズでご紹介した計画ですが、さいたま市には東西交通大宮ルートという路線の整備計画があります。
こちらは我が大宮駅と浦和美園を、さいたま新都心を経由して結ぶ鉄道路線。
鉄道とはあるものの、宇都宮線や野田線のような鉄道路線ではなく、それこそ路面電車のような形式になることが予想されています。
大宮からだとあまり行くことはない、せいぜいさいたまダービーくらい(次はいつ行けるのかなぁ)な浦和美園ですが、皆様もご存知なように、大宮からのアクセスはバスなので、お世辞にも良いとは言えません。
だからこそ、こうした路線ができれば、かなりアクセスはよくなることでしょうね!
道路の整備も含めてしっかりと
そもそも、どこを経由するのかということ、そして路面電車で行うことすらもちゃんと決まっていない状態ですが、少なくとも電車を通す土地は、地下も含めて間違いなく必要となります。
仮に路面電車であったとしても、道路を通すわけですからしっかりと道路の拡張を行わなければなりませんし、それに伴って建物の移転なども考えられます。
費用ももちろん大切ですが、果たしてちゃんと1本のルートを、土地としても路線としても、そして運営主体としてもしっかり築いていけるか、今後の行く末が注目されます。
まあ、やるんだったらやってほしいんだけどね!
埼玉新都市交通線延伸(内宿~免許センター)
埼玉県民御用達の場所
720万の埼玉県民なら、18になるとそのほとんどがあの場所に行くのではないでしょうか。
鴻巣だよ。
ご存知、鴻巣にある埼玉県警察運転免許センターです。
広々としている埼玉ですが、免許を取るための本試験の会場はここのみ。
いわば720万の埼玉県民が一堂に集まる場所。
皆さんならよくご存知だと思うのですが、とにかく駅から遠いですよね~。
最寄りの鴻巣駅から3キロ近く離れているので、行くのも一苦労です。
この投稿を見ている少年少女たちよ、覚悟しときな!
間違いなく重要はありそう!?
ですが、この免許センターにこいつを持ってくる計画があるって、ご存知でしたか?
上越新幹線の高架橋に沿って、大宮駅から伊奈町の内宿までを結んでいます。
ちなみに、ニューシャトルの正式名称は、埼玉新都市交通伊奈線っていうんですよ。
こんな風に上越新幹線の線路沿いにある免許センター。
右下にニューシャトルの終点内宿駅が見えますが、ここから約10キロ北上しようという、何とも胸熱な計画です。
こ、これができれば、大宮からニューシャトルで1本やで…!
全埼玉県民が渇望する、期待の路線です。
問題は設備面
まあ、需要はね、そこそこありそうではあるんですが…
問題は設備面。
御覧のように、新幹線の高架橋にぴったり寄り添って走っているニューシャトル。
大変残念ではあるのですが、内宿の先にはこのようにニューシャトルの線路を通す設備が、新幹線の高架橋にはないのです。
高架橋の柱がちょっと横に飛び出てますけど、これです。
そのため、もしも延伸となると高架橋も含めてしっかり作らなければなりませんが、そうなると費用も時間もたくさん必要になってくるわけです。
誰が得をする?
まあ、これは個人的な考えですが、大宮からは一本でいけるとしても、鴻巣以北の人は従来と同じですし、所沢や狭山など県西部の人は、高崎線で鴻巣を目指すのと同じように大宮駅に出て、高崎線とほぼ並行するニューシャトルに乗るわけですから、あまり今までと変わらない気がするんですよねぇ…。
あるに越したことはないのですが、いったい喜ぶのは誰になるのかが気になってしまいますね。
そりゃさいたま市民であれば、泣いて喜ぶだろうけど…。
東京以外の県直結の鉄道計画
県内完結型はこれくらいで、続けて東京以外の県と埼玉を結ぶ鉄道計画についてお話しします。
今のところは1路線しかないのですけどね。
35年前に消えた東武熊谷線
その前に、ここでちょっと歴史要素を入れようと思います。
35年前の1983年に廃線となった、東武熊谷線についてです。
熊谷から太田を目指して
時は第2次世界大戦時の1940年代。
今も工場があるのですが、群馬は太田に、軍用の飛行機を作る中島飛行機の工場がありました。
スバルの前身です。
日に日に激しさを増す戦局。
この状況を打開するには、とにかく大量の飛行機を造って戦場に送り込むしかない。
そのため軍の命令で、中島飛行機の工場へ資材や人員を運ぶ路線として、幹線である高崎線が通る熊谷駅と、東武小泉線の西小泉駅を結ぶ熊谷線の建設が計画されました。
その第一期工事区間として熊谷から途中の妻沼までが1943年に開通しました。
妻沼から先も西小泉を目指して建設が進められていましたが、敗戦を迎えてしまい、結局妻沼どまりとなってしまったのです。
あだ名はカメ
当初は機関車による客車列車による運行が行われていた熊谷線。
もともと軍事路線で、住民の利便性を考慮してできた路線ではなかったので、利用客は少なかったのですが、終戦後にはそれゆえ質の悪い石炭を回され、坂道も思うように登れなかったといいます。
のちに気動車が導入されて、状況は改善したものの、やはり愛称としてか、カメと呼ばれることが多かったようです。
しかしカメは旅立った
沿線自治体からは西小泉までの全線開通を求める声もあったのですが、
上述のように住民不在の軍事路線として作られた経緯上、利用客もあまり多くはなかったですし、設備面でも気動車の運用を続けるのは困難ということ、そして上越新幹線の開通に伴う熊谷駅の改良工事の影響などもあって、
ちょうど35年前の1983年6月1日に熊谷線は廃線となりました。
YouTube に埼玉県がアップした、熊谷線の動画がありました。
こんな小さな気動車で運行していたんですよ。
この車両は、動画にもあるように熊谷市立妻沼資料館に展示されています。
埼群軌道新線(東松山~熊谷~太田)
あの夢をもう一度
しかし、まさかの復活計画があるのです!
上の画像はイメージですが、熊谷線の廃線跡を利用して、東松山駅から熊谷駅を経由して、この廃線跡を通り、本来目指していた太田を目指すという、ロマンあふれる計画があります。
その名も埼群軌道新線!
ほぼ休眠状態…
しかし、社会はそう甘くはない。
採算性もそうですが、それにともなって周辺自治体や、もともと熊谷線を運行していた東武鉄道も完全に消極的になっている状況。
そもそも非電化でこそあったものの熊谷線のような普通鉄道にするのか、それとも路面電車にするのか、そして正確なルートといったものも決まってはいません。
周辺自治体の議会でまれに議題に上がることはあるものの、推進団体の活動も休眠状態にあり、実質計画は休眠状態にあります。
果たして、真の熊谷線の姿を見る日は来るのだろうか…?
いろいろお話しましたが、次回は、埼玉県内ではないものの、埼玉に関係がありそうな鉄道路線の計画をお話ししようかと思います。
あと、歴史ネタもちょっと出そうかな~。
お乗り間違いないよう、ご注意ください。
つづく