【埼事記 2023/2/26】相次ぐ猫の死骸遺棄 命断って何になる

■「親から子へ、子からまたその子へ血は流れ、永遠に続いて行く!・・・それが本当の永遠の命だと・・・俺は信じる」

2/13に急性心不全により85歳で死去した漫画家・松本零士氏原作の映画「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」で、クライマックスにキャプテンハーロックが発した言葉だ。

永遠の命が得られる機械の体を求める星野鉄郎少年と謎の美女・メーテルが999に乗って宇宙を旅する話だが、様々星雲を巡ってきた彼らと対峙したハーロックだからこその言葉といえる。

■直後2/22は「猫の日」としてSNS上が賑わうなど、猫は我々にとっても身近な動物で癒しの存在ともいえる。しかし、そのような雰囲気を壊しかねない凄惨な出来事がさいたま市内で今月起きていた。

2/13から2/17にかけて、同市南区の荒川彩湖公園や西浦和小学校で前脚や胴体など損壊された猫の死骸が相次いで見つかった。特に同小学校では猫の顎部分が鉄棒に吊るされていたという。

見つかった死骸が同じ猫のものかは定かではないが、動物愛護法違反を視野に目下は警察でも捜査中だ。

■その異様さとおぞましさは、とても言葉にすることができない。誰が何のためにこのようなことを公然と行うのか、想像だにできない。

全くもって悲しみや憤りに耐えない事件であるが、こと殺人や傷害といった犯罪に手を染める者は、その前段階にこうした動物の殺傷などを行う傾向にあることが知られている。こうした行為の意味を理解できない社会的スキルの欠如があったり、怒りや不安やストレスを動物たちに向けているともされる。

わざわざ人目に付くように遺棄するあたり、他者が驚く様子を見て楽しんでいるのもあるのだろう。

■これだけでも腹わたが煮え繰り返って仕方がないが、このまま同じ人間にまで危害を加えていたらと思うと目も当てられない。

人間の代わりに、物言わぬ動物を自らの快楽のために殺めたというのだろうか。そうだとしたら、これほど下劣で汚い行為はない。人間ではないからと、命に優劣をつけていることになりやしないか。

確かに我々人間も動物性の肉や魚を食べて生物の命を奪っているという指摘もあろう。しかし、そうした命を「いただきます」の言葉と共に文字通りいただいてる我々としては、生態系を維持し新たな命を育んでいく義務がある。そうでなければ人間ばかり膨張して生態系がアンバランスになってしまうし、この社会システムを保っていくことなど到底できない。命を奪う背徳感とそうした覚悟を、食物と共にかっ込んでいるのだ。

しかし快楽のために生物の命を奪うことで新しい命など生まれるわけもなく、むしろ他の命をさらに奪いすらもしよう。まさに冒頭の言葉にある「永遠の命」を一方的な都合で断ち切っているだけでしかなく、受け入れうる行為とは到底言えない。

■「人は生きるために産まれてきた物です。無意味に生まれてきた人はいません」

松本零士氏が生前発言した言葉である。

人間はもちろんのこと、猫もカメレオンもイソギンチャクもボウフラも生きるために産まれてきたものなのだ。そうした意味など無くてしては、命の誕生など起きるはずもない。

それぞれが生きることに加えてそれぞれの使命を帯びて生きているし、次なる世代にそのバトンをつなげようと四苦八苦している。そのバトンを一方的に取り上げて、自らの快楽のための見世物にしていいのだろうか。

鉄郎も無限の命である機械の体をいざ手に入れられるという時になって戸惑ったが、限りある命というのも有限なようでなかなかに重みがある。その重みを断ち切るだけのパワーと開き直りっぷり、何か他のことに使えればより多くの生命を救い育むことになりそうなのだが。

兎にも角にも、そうしたパワーを一方的な快楽にのみ使うのは許されないし、どう埋め合わせようというのだろうか。

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