【埼事記 2021/7/13】開会直前の無観客決断 「障害物競争」いつまで続ける

■「宴が甚だ乱れかけて来たならば、躊躇せず、そっと立って宿へ帰るという癖をつけなさい。何かいい事があるかと、いつまでも宴席に愚図愚図とどまっているような決断の乏しい男では、立身出世の望みが全くないね」

太宰治の小説・新ハムレットの一節である。

侍従長ポローニャが息子レヤチーズにかくの如く言ったが、物事の決断を先延ばしにするようでは機会も逃しかねない。

単なる小説の一節ではなく、我々の生活にも思い当たる節が多分にありそうだ。

■様々な声がある中、1年延期となった世界のスポーツの最高峰たる東京オリンピックの開会式が近づきつつある。

先週7/6〜8の3日間には、聖火リレーが埼玉で行われた。川口市やさいたま市では公道での走行は見送られたが、秩長瀞ライン下りや川越の蔵の街並みや熊谷ラグビー場と聖火が県内各地を巡った。

埼玉は最終地たる東京の一つ前の走行地となり、聖火は主会場となる東京に運ばれている。

埼玉での聖火リレー最終日たる7/8には、IOC(国際オリンピック委員会)のトーマス・バッハ会長も来日。広島への訪問なども物議を醸しているが、コロナ禍で沈む地域に五輪の熱が上がりつつあるのは確かだ。

■しかし同日、同大会組織委員会は埼玉含む一都三県での競技を無観客で実施すると発表した。ワクチン接種が始まっているにも関わらず、コロナ感染が止まらないことがその背景にある。

続けて北海道や福島での競技開催も無観客になることが決まっている。

観客数も限られる中での開催の予定だったが、開会直前に一転での無観客開催決定でチケットの払い戻しなど関係各所が対応に追われている。

市民の落胆の大きさは、語るまでもなかろう。

■無観客開催という選択肢自体は決して間違ってはいない。コロナ禍で人と人との接触が感染につながりかねない以上、無観客という形式はやむを得ない。大会自体を中止するよりはよほど懸命である。

ただ、問題なのは無観客開催を決断したタイミングだ。開催2週間前での決断は、あまりに急で乱暴すぎやしないか。

先述したように、無観客にするならチケットの払い戻しや交通体系の見直しや参加予定だったボランティアスタッフへの事情説明などといった関連作業が発生する。果たしてそれらがたった2週間という期間で皆が納得するような形で完遂できるだろうか。時間が足りないのは、誰が見ても明らかだ。

■ここ1週間で気温が高くなってきたからビールの仕入量を増やそうなど、こと小売流通の現場ではその時々の状況に合わせて意思決定をすることが望ましいとされる。決断のタイムスパンが短いことの方が良しとされるのだ。

しかし、オリンピックともなると状況は異なる。何年も前から準備を進めるものであるし、観客含む当事者も数百万単位に及ぶわけだから、一つ一つのアクションにかかるリードタイムも数年短くて数ヶ月単位だろう。それゆえ決断のタイムスパンが長い方が良いはずだ。

無観客開催の是非については以前から検討されていた。開会1ヶ月前というタイミングでも首を傾げたくなるが、先月6/18には政府分科会の尾身茂会長が「無観客開催が望ましい」と提言している。

急転直下での無観客開催の決断には、バッハ会長の来日にさも合わせたかのような感じが否めない。先が見えない状況であるのは百も承知だが、諸々のリードタイムを考えるにもっと早いタイミングで決断できなかったのだろうか。

■「よく決断は先延ばしにしようという人がいる。あとでゆっくり決断しようというタイプだ。でも、その人はよく見ると大きな決断を知らずにやっている。それは『いまは決断しないでおこう』という決断だ。これが、人生でもっとも大きい落とし穴の一つだ」

本田健氏の著書「ユダヤ人大富豪の教え」の一節である。

スタジアムや大会ロゴや女性蔑視発言など、数々の側面で自らハードルを上げてきた同大会のハードルが決断の先延ばしでさらに高くなってしまった。大会直前になってこれなのだから、相当高いハードルを超えないと成功とは言えないだろう。

さらなる「新記録」を作ってしまうか、無事に走り切るかー迷走の「障害物競争」は本大会以上にヤキモキさせられる。

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