嵐山というと多くの者が京都の嵐山を想像することだろう。
一方で同地に因んだ嵐山という地名が埼玉にもある。それが比企郡嵐山町だ。
同町の魅力を連載形式で紹介する。
嵐山町とは
町のプロフィール
まずは同町のプロフィールを簡単に紹介する。
県のほぼ中央に位置し都心より60km圏に位置する、人口約17,000人の同町。
東松山台地や比企北丘陵や岩殿丘陵などが複雑に入り組んだ町域には、川や後述する嵐山渓谷や平地やと多様な自然で満ちている。中心産業はその肥沃な土壌を生かした農業で、葉物野菜や現在では流通量が少なく特有の食感や香りの良さが持ち味の小麦・農林61号などが栽培されている。
平安末期に活躍した木曽義仲の生誕地であり、畠山重忠が居を構えた菅谷城跡があるなど坂東武者ゆかりの地としても名高い。鎌倉街道が通っていたという町域には杉山城跡など多くの城址が残されている。
町の東西に東武東上線が走り、武蔵嵐山駅が町の玄関口となる。平行して関越自動車道も走り嵐山小川インターチェンジが設けられている。
名付け親は郷土の偉人
嵐山という地名は、同町南西部を流れる槻川沿いの嵐山渓谷が京都の嵐山に似ていたことに由来する。
この名付け親が、久喜市菖蒲町出身で公園の父とされる林学・造園家の本多静六(1866〜1952)。県内でも大宮公園や羊山公園などの設計にあたっている。
本多は1928年に同渓谷を訪れたが、その光景に感銘を受けてそれまで菅谷村と呼ばれていた同町域を武蔵嵐山と称した。
直後の1930年には朝日新聞社による「東日本新名物」に同渓谷が紹介された。これを皮切りに同渓谷周辺には豪華な料亭旅館が設けられ、本家同様に桜の春・紅葉の秋には臨時列車が設定されるほど同渓谷は日帰り観光客で賑わった。
これにあやかって駅や自治体名にも嵐山が配されたのだという。
他にも同町は、京都にゆかりのある市町村が加盟する全国京都会議にも参画している。
ハイキング・キャンプで賑わう町
晴れた日はハイキング日和
町の玄関口である東武東上線武蔵嵐山駅に降り立った。
一日約7,600人が利用する同駅は池袋から約1時間で到着する。快速急行など優等種別もすべて停車するため都心へのアクセスは非常に良い。
駅構内にはステーションプラザ嵐なびが併設され、同町の観光案内や物産販売をおこなう。
朝の10時頃だが、同駅で降り立った者の多くが帽子を被りリュックを背負った観光客だった。ちょうど東武鉄道主催の健康ハイキングの開催日で、多くのハイカーが同駅の受付から歩き出した。穏やかに晴れた日で絶好のハイキング日和だった。
菅谷城跡や同渓谷を通り隣の小川町の埼玉伝統工芸館に至る長丁場だが、この時期の開催は紅葉の季節だからだろう。赤く染まる渓谷を見れば歩くのも楽しくなるに違いない。
ワーケーションもあり?
同駅から南に約2km、都幾川に架かる学校橋に至った。
すっかり葉も落ちたが、春になると川沿いに咲く桜が隣の菜の花畑や遠くの秩父山系と共に見事な光景を作り出す。
同橋周辺の河原は学校橋河原と呼ばれているが、連休初日ということもあり河原には多くの車が駐まっている。
コロナ禍で三密を防ぐオートキャンプが脚光を浴びているが、都心から程よい近さだけに同河原には連日多くのキャンパーが陣を構えるそうだ。
水も空気もきれいでのびのび過ごせる同河原で、ワーケーションというのもありかもしれない。
つづく