秩父三社の一角・寶登山神社

坂道を超えた先

多くの商店が建ち並ぶ駅前を抜けると、車をもまたぐ大きな鳥居が見えて来た。

こちらを潜ると緩やかな坂道が続く。

鳥居から7〜8分ほど坂を登り寶登山神社(ほどさんじんじゃ)にやって来た。

標高497.1mの宝登山麓に位置する同社。秩父神社・三峯神社と並び秩父三社の一角を占める。

二十四孝あしらう社殿

手を清め参拝する。清め場からさらに石段を登った先が社殿となる。

森の中で荘厳な出で立ちの現在の社殿は明治時代の1874年に完成し、権現造を採用した。

明治維新の大激動で限られた浄財の中でも彫刻や絵画と最大限の装飾がなされている。

社殿でもとりわけ目を引くのが、欄間に施された彫刻。元代の中国において孝行が優れた24名を紹介すべく編纂された二十四孝の内容があしらわれている。

2009年の鎮座1900年記念事業によって鮮やかに彩られた。社殿へのこのような色とりどりの装飾は秩父三社には特徴的だ。

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同社の由来

社伝によると、同社の創建は12代景行天皇の時代の西暦111(皇紀41)年。

ヤマトタケル東国平定の際にこの地に立ち寄り、この地に湧き出ていた泉でのみそぎを経て同山山頂を目指した。しかし山へ入った際に突然山火事が発生。火の手が広がり進退極ったその時、忽然と山犬たちが現れ瞬く間に火を消し止めた。そして一行を頂上まで案内するとその山犬たちは姿を消していった。

この奇跡をヤマトタケルは山の神が化身たる山犬を遣わし自分たちを救ったと解釈。山頂で初代神武天皇・山の神の大山祇神・火の神の火産霊神を祀り、「火を止める山」という意味で「火止山」と定めたことが同社の興りという。

その後山麓にも社殿が構えられ、社名も弘法大師が山頂に宝珠の翻るのを見て寶登山神社とされた。

時は流れ平安時代後期の1113(永久元)年に圓空がこの地に玉泉寺を開山。以来神仏習合で修験場としても名を馳せるようになった。明治期の神仏分離により両社とも独立しているが、今日に至るまで共存している。

なお、ヤマトタケルらがみそぎをおこなったという泉は現在も社殿内に残されている。

囲いの中のため入ることはできないが、水が澄み切り底も見える。

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寶登山神楽について

この日は行われていなかったが、同社に関する芸能の一つに寶登山神楽がある。社殿横に神楽殿も位置している。

秩父神社系の同神楽は36座番外3座から成り、神話によるものが多くを占める。

演じられる神楽は大きく分けて、素面で刀や笹などを手にして舞う「採り物神楽」と面をつけて能風に舞う「黙劇」の2種類で構成される。

1月1日の元旦祭をはじめ、2月節分や4月3日例大祭、5月2日奥宮祭に数座ずつ奉奏される同神楽。特に元旦に行われる神楽は年が明ける午前0時から3時まで奉奏されるもので、このような例は珍しいという。

(同社HPより)

明治期より行われているという同神楽は、現在も地域の人々によって継承されており高齢者からこどもまでが演じている。

スポット紹介

寶登山神社

  • 住所:埼玉県秩父郡長瀞町長瀞1828
  • 電話番号:0494-66-0084

つづく

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