お世話になっております。
昨日までの鉄博ネタはいかがでしたでしょうか?
今日も割と大宮ではメジャーなあのスポットを紹介します!
大宮の中心氷川神社
明治天皇の氷川神社行幸から150周年!
ここまで鉄道博物館だったり造幣局さいたま支局だったりと、大宮の各スポットのアニバーサリー企画を紹介してまいりましたが、こちらも今年で150周年となりました
それは、明治天皇の、大宮の中心・大宮氷川神社への行幸150周年です!
1868年の行幸、すなわち明治天皇自らの参拝から、今年で150周年を迎えるというわけです
いや~めでたい!
実際に行幸したのが10月28日ということで、その記念日も刻一刻と迫っているような状況であります。
くぅ~、楽しみ~!!
そもそも氷川神社って?
数ある氷川神社の総本山
氷川神社というと、川越だったり、セーラームーンのレイちゃんの実家だったりといろいろなところにありますが、ここ大宮の氷川神社は、東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本山!
つまり、氷川神社の中の氷川神社というわけです
他のところはすべて分祠、というわけですね~
創立はおよそ2000年前?
そんな氷川神社は、社記によると、今から約2000年以上前の紀元前473年、第5代孝昭天皇3年4月未日の創立とされています。
ちょうど中国は三国志の時代、ヨーロッパは古代ローマ帝国の時代でした。
あのパルテノン神殿ができたのが紀元前438年というのだから、もしもそれが正しければパルテノン神殿よりも古いということになります
半端ねぇ・・・
祀っているのは須佐之男命(すさのおのみこと)
ヤマタノオロチを退治したことで有名ですね!
須佐之男命をメインに、稲田姫命(いなだひめのみこと)や須佐之男命の息子である大己貴命(おおなむちのみこと)を祀っております。
社名の氷川については、現在の島根、出雲大社の近くにあった斐伊川(ひいかわ)という地名に由来するという説があるようです。
そうした由緒ある神社であることから、古来より朝廷に崇敬され、あの奈良の大仏を建てた聖武天皇も崇拝していたという話です
その後日本は武家の時代に突入しますが、鎌倉・足利・北条・徳川氏など、時代の主役にあった武家は、いずれも氷川神社を尊仰していました。
大宮の地名の由来!?
最近では、解散はしていない某ジャニーズの5人組グループのうちの2人コンビを大宮と呼ぶ動きもあるようですが・・・
そもそもこの大宮という地名も、この氷川神社に由来しているといいます。
大いなる宮居を略して大宮と呼ぶようになったのだとか。
宮居、とはすなわち氷川神社のこと
それだけ古来より多くの人々に信仰されてきたということですし、今やサッカーチームの名前になるほど浸透している地名になったわけですからね!
氷川神社がどれだけすごい神社なのか、多少なりともお分かりいただけたかと思います。
明治天皇の電撃行幸!
勅祭社になった氷川神社
そうして時は流れて、いつしか大政奉還がなされて、時代は明治時代に突入。
新しく明治天皇が即位し、同時にこれまでの寺社の見直しが行われました。
そんな中でも氷川神社は武蔵国の鎮守、および勅祭社として認定されました。
勅祭社とは、すなわち祭事に際して天皇から勅使が派遣される、ハイグレードな神社。
出雲大社や熱田神宮、鹿島神宮などと肩を並べる、エリート中のエリート神社に認定されたというわけです。
この決議は1868年10月17日に神社本庁の会議で満場一致で決まり、こんな証書が出されました。
隣の晩ごはんバリの電撃行幸
それで終わりじゃないんですよねぇ~
まあ、せっかく勅祭社にしたわけだし、近いから行ってみっぺ!
と思ったかどうかは定かではありませんが、明治天皇による行幸、すなわち実際に天皇が神社に参拝することも決定しました。
そして勅祭社認定のわずか10日後の10月27日、明治天皇をはじめとする一行は氷川神社に向けて東京を出発
まさにヨネスケの隣の晩ごはんバリの電撃行幸だったわけです!
最近見ないよなぁ、隣の晩ごはん・・・
一行は板橋や蕨を経て、途中浦和宿で宿泊。
ここでは沿道の人々の表彰もなされたという話ですね。
氷川神社側は冷静に対応
こんなことがあったらふつう誰だってテンパっちゃうものですが、
氷川神社の神主はじめ大宮の人々はいたって冷静に明治天皇一行を迎え入れたようです。
バタバタしただろうけど、よかったよかった・・・
なお、この行幸の模様については、浦和宿周辺の画家山田衛居によってこのように絵巻物にされています。
その後明治天皇は3年後の1871年にも氷川神社に行幸しています。
実際に明治天皇と同じルートで参拝してみた
細かい話はこれくらいにして、実際に明治天皇と同じルートで参拝してみます。
といっても、東京からじゃなくて、あくまで氷川神社の境内で・・・
大鳥居の近くに集合?
まず、参拝にあたっては、一行で参拝するため、この辺りにいったん集合という形をとったといいます。
今日の参拝も、ここからスタートです
ああ、参拝の紅葉が楽しみだ・・・
氷川神社の大鳥居はオリジナルではない!?
ちなみに先ほどの写真に見える大鳥居は、もともと氷川神社のものではないのです
一体どこにあったものかというと・・・、なんと明治神宮!
1966年7月に明治神宮の大鳥居が落雷を受け、破損しました
それに伴い、4年後に大鳥居の付け替えが行われましたが、元の大鳥居に関しては、修復を受けて、1976年にこの氷川神社の参道にやってきたというわけです。
ちなみに、参道のこの場所にはもともと小さな鳥居が建っていましたが、大鳥居の移築に伴って、現在では神社の北西側に移築されております。
境内にも歴史あり
そうして長い参道を抜けて、いよいよ本鳥居です。
この鳥居の右隣に附所があったようで、ここで参拝に際していろいろと手続きをしたようです
そして境内へ
まず最初に参拝したのは、池の右手にあった摂社火王子宮という、神社の摂社
この頃氷川神社には神仏習合のもと、お寺が併設されていましたが、明治に入った頃に正式に分離しました。
また、それまで女体宮と同格であった男体宮が本社となったといいます。
そうして池の右手を回って本社へと足を運び
最後に本社を参拝したということです。
なるほど、境内にも歴史ありというわけだな
150周年の日には御親祭が
そうして、行幸から150年を迎える来週10/28ですが、これを祝う御親祭が午前10時から氷川神社で開催されます!
今まで50年、100年の節目に開催されてきまして、晴れて150年目というわけです
その時もこんな風に参道に提灯が出て盛り上がったのかな?
当日行きたいのですが、行けるのかどうか…
なぜかは後日お話いたします💦
参道脇の博物館でも関連展示を実施中!
また、氷川参道の脇、ちょうど明治神宮にあった大鳥居の近くにあるさいたま市立博物館では、この150周年の御親祭を記念して、第41回特別展「氷川神社 ―大いなる宮居の歴史―」が11/19まで開催中です!
神社や社家などに伝わってきた資料と共に、氷川神社を紹介すると共に、この行幸についても当時の証書や上の画像の絵巻物の実物、さらには当時の神社の人々が残した記録など、貴重な資料が満載です
参拝ついでに足を運んでみてはいかがでしょうか
四季折々の行事も満載
記念すべき年ではありますが、氷川神社では7月の茅の輪くぐりや
12月の十日市など、季節を通してさまざまな行事が開催されていて、非常にみごたえがあります。
また、普段も多くの方々が参拝に訪れていて、お守りを買ったりお祓いを受ける方の姿も見受けられます。
武蔵国の鎮守にして、大宮の中心、そしてパワースポットである氷川神社
ぜひ大宮に、NACK5スタジアム大宮に訪れた際には足を運んでみてはいかがでしょうか?
以上、現場からお送りしました💨
施設紹介
◇氷川神社
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
電話番号:048-641-0137
本社開門時間:3~4・9~10月 5:30~17:30、5~8月 5:00~18:00、1~2・11~12月 6:00~17:00
◇さいたま市立博物館
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町2-1-2
電話番号:048-644-2322
入館料:無料
開館時間:9:00~16:30
定休日:月曜日(休日を除く)、休日の翌日、年末年始(12月28日から1月4日